natukusa
続きです。
>(見出し)海外の漫画市場は、日本に比べて“たいしたことない”レベル
>(見出し)「“縦スク”でないと漫画が読めない世代が増えてきた」という嘘
ここについては正直あんまり思うところがなく。
「漫画」メディアの日本市場が国際的にも広いのは事実だし、
「よって海外は戦略的に攻めない」のも「小さいからこそ伸び幅がある」のも
各自の戦略の違いなので、「各自がんばれ!」という感想で。
前記事で触れた通り、主催のナンバーナインは現在多くのアマチュア作品を取引する企業のため
国際的な市場開拓を積極的に担う立場ではないだろうし、一方、
日本有数の出版社と雑誌ブランドで長年一線で活躍してきた作家である赤松さんが
「これからあっちを開拓してやるぞ!」と意気込んでブルーオーシャンと評するのも、どちらの観点もわかります。
少しだけミスリードかな~と思ったのは、
「漫画」メディアの海外市場は全部合わせて1000億円というのは
あくまで「漫画」に限った話であり「出版」市場規模ではないこと。
例えば北米の書籍全体の市場規模の資料を引くと、
>以後、書籍に話を絞りますが、2013年の段階で、書籍産業は270億ドルの市場規模を持っています。
>日本円で、約3兆2000億円です。
日本は電子書籍の「後進国」なのか?--米国との差を「刊行点数」から推定 - CNET Japan
一方の日本の出版市場規模は、
>2020年紙+電子出版市場は1兆6168億円で2年連続プラス成長 ~ 出版科学研究所調べ
2020年紙+電子出版市場は1兆6168億円で2年連続プラス成長 ~ 出版科学研究所調べ | HON.jp News Blog
日本語資料の関係で年数に差があるのは申し訳ないんですが、
ざっくり傾向だけ見れば、出版マーケット自体はアメリカだけで日本の約2倍です。
人口に比例した市場規模ですね。
日本の出版における「漫画」メディアとは、全体の約4分の1を占める存在感がありますが、
アメリカでは仮に1000億円と考えても数%しかありません。
と考えると、「そんなニッチ市場に打って出たくないなあ」という判断も
「本を読む人でマンガ読まない人そんなにいるのか!これは勝つる!」という判断も
より解像度が高まるんじゃないでしょうか。
縦スク云々も、記事中で語られている通り「漫画を読む」という素地はある人らに
どんどん売り込むといいですよ。
>赤松:なんだけど、ハリウッド映画がスクリプトドクター、シナリオドクターによって、だいたいの盛り上がりは決まっていると。
>これからポリコレ意識して黒人、白人、いろいろ出してみたいなかたちで。
>『アベンジャーズ』みたいなのが、どれ見ても同じかもしれないですよ。しれないけど、やっぱりヒットすると。
>小禄:おもしろい。
>小林:めちゃくちゃ配慮されてますよ。『アベンジャーズ』。
ここは本当に様々な誤認が含まれていて、どう切り込めばいいのかわからんくらいなんですが、
とりあえず一個一個いきましょう。
まず1行目に出てくる「スクリプトドクター、シナリオドクター」という聞きなれない職業について。
この説明だけ見ると、まるで映画とその作り手に対して
「ここに盛り上がりを作れ!」「これからは人種を出すようキャスティングしろ!」と
ビシビシ手を入れる職種がいて、その通りに作らないといけない産業構造になってるように見えますが
当然そんなことはないです。
日本語ウィキペディアをみてみましょう。
スクリプトドクター - Wikipedia
>スクリプトドクター(英語: script doctor)とは、映画、テレビ番組、演劇等の脚本や台本を書き直したり、
>これらの主題、構成、テンポ、登場人物の性格づけ、台詞など特定の要素の完成度を高める目的で制作会社に雇われる脚本家、劇作家、台本作家である[1]。
>脚本コンサルタント(script consultant)と呼ばれることもある[2]。
>スクリプトドクターの名前は、商業上の事情や芸術上の理由などにより、作品のクレジットタイトルに表示されないことが多い[1][3][4]。
>通常、スクリプトドクターは、既にほぼ制作が決まった脚本等について[5]、
>計画中または製作準備中の段階で、資金調達者、制作チーム、出演者などから具体的な問題が指摘された時に雇われる[6]。
英語版「Script doctor」ではより具体例が並んでいますが、職業概要はほとんど同じです
Script doctor - Wikipedia
よく注目してほしいんですが
「計画中または製作準備中の段階で、資金調達者、制作チーム、出演者などから具体的な問題が指摘された時に雇われる」
とありますね?
つまり、とある映画の企画が進んでいて監督やプロデューサー、脚本家からなる
制作チームが脚本を作っている時に、その脚本の計画中または製作段階で
「この脚本、なんか上手くいかないんだけどなんでだろう?」と行き詰った時に
当事者たちから要請されて参加するのがスクリプトドクターです。
決して、元文章から察せられるような、作り手が一生懸命作った脚本に対して
一方的に「絶対にこういう展開にしろ!」といったり
作り手も気づいていないような差別的表現を一方的にあげつらって削除するような職業ではないんですね。
あくまでこの職業は「ドクター」であり、患者本人の申告があってやってくるし
最悪、患者はそこで処方された薬や手術を断ることもできる。
漫画家にわかりやすい形で説明すれば、漫画編集者が近いかもしれません。
ただし商業においては漫画編集者にこそ掲載決定権があるので、
そこで提案される内容には大なり小なり作家から見て強制力が働く場合もありますが、
スクリプトドクターにはそういうしがらみがありません。雇い主は作家ですからね。
スクリプトドクターは雇い主が求めるように問題点を指摘し、時に改善のためのアイデアをだし
しかしそれを採用するもしないも作家側に決定権があります。
そう聞くと「その人にいてほしい!!」と思う漫画家は少なくないんじゃないでしょうか。
ちなみに、日本の映画業界でもここ20年ほどでスクリプトドクターが存在しており
映画監督でもあり現役スクリプトドクターでもある三宅隆太さんなどは
さまざまなメディアでそのお仕事の実態について発信しています。
「スクリプトドクターの脚本教室・初級篇」「中級篇」という書籍も出ています。
スクリプトドクターの脚本教室・初級篇 - 株式会社新書館
ネットで無料で手軽に概要を聞きたいときは、以下からネットラジオ形式で話を聞けます。
https://www.tbsradio.jp/311853
まとめますと、スクリプトドクターとは作り手の意に添わぬ形で作品に手を入れる職業ではないし
むしろ商業作品のクオリティアップのためには必要なクリエイティブな職業ともいえますが、
この文章ではまるで「ポリコレ(この記事の中では表現の自由と相反するものとして評される)」を
強要する職業であるかのように語るのは、職業や立場に対する偏見です。
ここは強めにはっきりと批判します。
2点目。
「だいたいの盛り上がりは決まっていると。」
「アベンジャーズ』みたいなのが、どれ見ても同じかもしれないですよ。しれないけど、やっぱりヒットすると。」
についてなんですが、
でも日本の漫画ノウハウ本とかでも「起承転結を意識しましょう」とかいわん?
日本の漫画も「一時期全部のラブコメ漫画がラブひなみたいになったときあったよな」とか
「少年少女が戦う学園異能バトル漫画ばっかやな」とかよく言われてると思いますが。
「盛り上がりが決まっている」については、おそらく発言もとになってるのは映画脚本術などでよくみる
「感情曲線」とか「三幕構成」といった話を指しているんでしょうが、
起承転結と同じく「よくある物語の型」として紹介されているでしょう。そりゃよく使われますよ。
日本の漫画家だって、物語を作るときにいまいち面白くない、だが構成を整えたらぐっと良くなったとか
流行りの世界観や設定をもってきて自分なりにアレンジして安心感とオリジナリティを見つけるとかは
それこそ日常的にやってることでは。
近年はネットフリックやAmazonプライムが、視聴者が見ているドラマをどこで離脱するのか
秒単位で観測して、それをもとにドラマを作られていくに違いない、とかまことしやかに囁かれていますが
じゃあ日本の漫画家がその感情曲線を知りたくないかって言ったら知りたい人も多いんでは。
もしかしたらそれが、自分の作品品質をさらに上げてくれるものかもしれないと思ったら
とりあえずは知りたいじゃないですか。使うかどうかはともかく。
構成とか型とかってものは本質的にそういうものなんじゃないですかね。釈迦に説法だと思いますが。
3点目。
「めちゃくちゃ配慮されてますよ。『アベンジャーズ』。」は本当に悩ましい発言で。
というのも、私が知る限りアベンジャーズとは、そこまで配慮ができている作品とはいいがたいので。
お題になってる「ポリコレ」、ポリティカリ・コネクトレスとアメリカ映画の関係で
私が映画を見始めた20年ほど前からず~っとよく言われているものが
「たくさんの人種を出す」であるとは前記事でも話しました。
そこへいくと「アベンジャーズ:エンドゲーム」までの22作品のうち
単独ヒーロー映画でアフリカ系出演者がメインヒーローになったのは1作、
女性出演者がメインヒーローになったのは1作、アジア系出演者にいたっては0作です。
つまり全然(人種や性別は)多様じゃない。
もちろんサブキャラクターの中には多くの有色人種もいますし、スーパーパワーを持った女性もたくさんいます。
ですがあくまでサブキャラクターにとどまっています。
特に最終作のエンドゲームにおいては、展開上人類の半分が虚無になったこともあり
残ってるメンツが露骨に初期メン中心だったので、少ないなりにせっかく増やした有色人種や女性キャラクターが減って、
白人男性中心の初期アベンジャーズ中心に物語が進むようになります。
それは、私が初めてポリティカリコネクトレスに行き会った時に見た
「映画の中から偏見や差別を撤廃するために(目的)、複数の肌の出演者を採用する(手段)けど、
話の展開で有色人種すぐ死んで白人ばかりになる(目的の転倒)のダメだろ」
と、非常に近い構造を持っているんですよね。
私はそういう構図になってしまったことを、それまでの展開をシリーズを続けてきた文脈からいって
特段それを批判の対象とすることはしませんが、一方で多少の登場人物を間引いただけで
こうまではっきりと「特定の肌の色と性別」に割合が大きく偏ってしまうというのは
問題の根の深さ太さを感じずにはいられないと思います。
これ以外にも、特にシリーズ後半でよく指摘された観点として、セクシャルマイノリティの扱いがあります。
シリーズ17作目「マイティ・ソー バトルロイヤル」に登場するヴァルキリーというアフリカ系の女性戦士は
原作コミックではバイセクシャルであることが明かされていましたが、
映画作中でほかの女性戦士に思いを寄せるシーンこそ、ほんの一瞬あっても明言されない演出にとどまり、
これに対して「セクシャルマイノリティがいないことにしたい意図があったのでは?」と批判が上がりました。
元発言に戻ると、「アベンジャーズは(ポリコレに)配慮している」とありましたが
実際にはポリティカリコネクトレスに含まれる、マイノリティ(人種、性別、性的志向)に対して
結構わかりやすく背を向けてるとこがあります。
なので「ポリコレ」なんか支持しないぞ! と考えてる人は
むしろ今のアベンジャーズの路線を応援するといいんじゃないでしょうか。私は一切支持しませんが。
>赤松:もしそういうのがあったとして、科学で漫画の構造を分析して
>「ポリコレも含まれていて、必ず当たる漫画」っていうのが、
>もし海外で受けるようになってものすごく金が儲かった場合、
>我々はどう考えるべきか? っていうのはすごく悩んでいるんですよ
ここには複数の違和感があり、非常に指摘が難しい。
それと同時に、悩みの根っこのようなものには少しの共感があります。
まず「ポリコレも含まれていて、必ず当たる漫画」については
少し違いますが「ポリコレが含まれていて当たった作品」について覚えがあります。
2014年の映画「ベイマックス」です。
この作品は主人公がアジア系アメリカ人で、周囲にもアフリカ系や中国留学生などが様々登場し、
アメリカ映画の中では「ナード」などと呼ばれて軽んじられがちな研究者やオタク性質を、
理系の大学生であり研究者ゆえにヒーローパワーを持ったという設定で前向きに描きました。
当時、アメリカ映画の根底に常に流れる「白人男性のマッチョさが中心に動く物語」に知らず
なれていた自分としては非常に新鮮に映ったんですね。
当時は私と同じように、アメリカ映画をたくさん見るあまり、知らず知らず慣れていた人たちが
ベイマックスを見て「ポリティカリコネクトレスってこういうことか!」と強く感銘を受けたし
作り手の無意識にある「偏見や差別」をもんのすごい手間と資料と予算とかけて制御しきり、
それでいて「面白い作品とはなんだ」と突き詰めて、実際に面白い映画を作った手腕に舌を巻いていました。
↓当時の私のブクマに残ってた記事など。当時の空気がわかるでしょうか。
ベイマックスが最高すぎて恐怖すら覚えた件
ベイマックスが最高すぎて恐怖すら覚えた件 - ヨッピーのブログ
ベイマックスの「政治的正しさ」とクールジャパン
ベイマックスの「政治的正しさ」とクールジャパン - Togetter [トゥギャッター]
『ベイマックス』を見て日本のクリエイティブは完全に死んだと思った
『ベイマックス』を見て日本のクリエイティブは完全に死んだと思った
私からすると「ポリコレが含まれていて当たった作品」は
すでにベイマックスにとどまらずたくさんあるし、散々分析されて、
再現性が計算されつくされて量産し、社会で流通しています。
5年もたってたらこれらの成果は誰しも知らず目にしているでしょう。
逆に言うと、すでに量産されて社会で流通しているからこそ
多くの人の目に留まり、誕生から40年近い歴史があるのに
「ポリコレなんてここ5年のものでしょう」という人まで現れたともいえるかもしれません。
そうやって、どうしようもなく「ある思想」が流通している状況があったとして
思想自体の是非や賛否ではなく、ただただその思想とは別のところに目標がある人からすれば
歯がゆい気持ちになるのは理解します。
そうやって歯噛みする気持ちについては、先ほど紹介した記事に着けた自分のコメントを置いときます。
>2014年の「今時こりゃねえよバカ」大賞は同じくディズニー制作の映画「マレフィセント」だと思う。
>今のディズニーならすべてその方向にいいもの作ってるわけじゃないし、叩かれまくってる日本製も同様じゃないかな。
>ディズニーもピクサーもそも米国映画産業自体がとっくの昔から効率化による集合知産業だけど、
>今も9割駄作で見捨てられ1割の名作をみんながもてはやしてるだけだと思う。
>米国映画産業はずっと昔から超分業制でそれゆえ作品と監督と主演の適性が何より重要なんだと知ってるよ。
この見解はいまも変わってません。
私がこの記事で主張したいのは、「ポリコレ」の是非とかではなく、
「自分たちとは違うやり方」で多くの人の心を揺すった成果にたいして
戸惑ったり警戒するのもわかる一方で、
私見ですけど、結局それらもやり方が違うだけ……違う道を通っているだけで、
「たくさんの人の心を揺さぶる」というゴールを目指し、時に失敗して転んで、
でも誰かが上手い方法を見つけて一歩進む、ということを繰り返すのは
別に日本の漫画もそれ以外も同じなんじゃねえかなあと思ってる次第です。
「屈しない」「負けてない」とよく記事中に出てきますが、
どうかそれは他文化の耳慣れない用語や職業を悪しきものと断定して語るような態度ではなく
同じゴールを目指す競争相手として、誠実な気持ちがあってのものであってほしいと思いますよ。
そんな感じでーす。
>(見出し)海外の漫画市場は、日本に比べて“たいしたことない”レベル
>(見出し)「“縦スク”でないと漫画が読めない世代が増えてきた」という嘘
ここについては正直あんまり思うところがなく。
「漫画」メディアの日本市場が国際的にも広いのは事実だし、
「よって海外は戦略的に攻めない」のも「小さいからこそ伸び幅がある」のも
各自の戦略の違いなので、「各自がんばれ!」という感想で。
前記事で触れた通り、主催のナンバーナインは現在多くのアマチュア作品を取引する企業のため
国際的な市場開拓を積極的に担う立場ではないだろうし、一方、
日本有数の出版社と雑誌ブランドで長年一線で活躍してきた作家である赤松さんが
「これからあっちを開拓してやるぞ!」と意気込んでブルーオーシャンと評するのも、どちらの観点もわかります。
少しだけミスリードかな~と思ったのは、
「漫画」メディアの海外市場は全部合わせて1000億円というのは
あくまで「漫画」に限った話であり「出版」市場規模ではないこと。
例えば北米の書籍全体の市場規模の資料を引くと、
>以後、書籍に話を絞りますが、2013年の段階で、書籍産業は270億ドルの市場規模を持っています。
>日本円で、約3兆2000億円です。
日本は電子書籍の「後進国」なのか?--米国との差を「刊行点数」から推定 - CNET Japan
一方の日本の出版市場規模は、
>2020年紙+電子出版市場は1兆6168億円で2年連続プラス成長 ~ 出版科学研究所調べ
2020年紙+電子出版市場は1兆6168億円で2年連続プラス成長 ~ 出版科学研究所調べ | HON.jp News Blog
日本語資料の関係で年数に差があるのは申し訳ないんですが、
ざっくり傾向だけ見れば、出版マーケット自体はアメリカだけで日本の約2倍です。
人口に比例した市場規模ですね。
日本の出版における「漫画」メディアとは、全体の約4分の1を占める存在感がありますが、
アメリカでは仮に1000億円と考えても数%しかありません。
と考えると、「そんなニッチ市場に打って出たくないなあ」という判断も
「本を読む人でマンガ読まない人そんなにいるのか!これは勝つる!」という判断も
より解像度が高まるんじゃないでしょうか。
縦スク云々も、記事中で語られている通り「漫画を読む」という素地はある人らに
どんどん売り込むといいですよ。
>赤松:なんだけど、ハリウッド映画がスクリプトドクター、シナリオドクターによって、だいたいの盛り上がりは決まっていると。
>これからポリコレ意識して黒人、白人、いろいろ出してみたいなかたちで。
>『アベンジャーズ』みたいなのが、どれ見ても同じかもしれないですよ。しれないけど、やっぱりヒットすると。
>小禄:おもしろい。
>小林:めちゃくちゃ配慮されてますよ。『アベンジャーズ』。
ここは本当に様々な誤認が含まれていて、どう切り込めばいいのかわからんくらいなんですが、
とりあえず一個一個いきましょう。
まず1行目に出てくる「スクリプトドクター、シナリオドクター」という聞きなれない職業について。
この説明だけ見ると、まるで映画とその作り手に対して
「ここに盛り上がりを作れ!」「これからは人種を出すようキャスティングしろ!」と
ビシビシ手を入れる職種がいて、その通りに作らないといけない産業構造になってるように見えますが
当然そんなことはないです。
日本語ウィキペディアをみてみましょう。
スクリプトドクター - Wikipedia
>スクリプトドクター(英語: script doctor)とは、映画、テレビ番組、演劇等の脚本や台本を書き直したり、
>これらの主題、構成、テンポ、登場人物の性格づけ、台詞など特定の要素の完成度を高める目的で制作会社に雇われる脚本家、劇作家、台本作家である[1]。
>脚本コンサルタント(script consultant)と呼ばれることもある[2]。
>スクリプトドクターの名前は、商業上の事情や芸術上の理由などにより、作品のクレジットタイトルに表示されないことが多い[1][3][4]。
>通常、スクリプトドクターは、既にほぼ制作が決まった脚本等について[5]、
>計画中または製作準備中の段階で、資金調達者、制作チーム、出演者などから具体的な問題が指摘された時に雇われる[6]。
英語版「Script doctor」ではより具体例が並んでいますが、職業概要はほとんど同じです
Script doctor - Wikipedia
よく注目してほしいんですが
「計画中または製作準備中の段階で、資金調達者、制作チーム、出演者などから具体的な問題が指摘された時に雇われる」
とありますね?
つまり、とある映画の企画が進んでいて監督やプロデューサー、脚本家からなる
制作チームが脚本を作っている時に、その脚本の計画中または製作段階で
「この脚本、なんか上手くいかないんだけどなんでだろう?」と行き詰った時に
当事者たちから要請されて参加するのがスクリプトドクターです。
決して、元文章から察せられるような、作り手が一生懸命作った脚本に対して
一方的に「絶対にこういう展開にしろ!」といったり
作り手も気づいていないような差別的表現を一方的にあげつらって削除するような職業ではないんですね。
あくまでこの職業は「ドクター」であり、患者本人の申告があってやってくるし
最悪、患者はそこで処方された薬や手術を断ることもできる。
漫画家にわかりやすい形で説明すれば、漫画編集者が近いかもしれません。
ただし商業においては漫画編集者にこそ掲載決定権があるので、
そこで提案される内容には大なり小なり作家から見て強制力が働く場合もありますが、
スクリプトドクターにはそういうしがらみがありません。雇い主は作家ですからね。
スクリプトドクターは雇い主が求めるように問題点を指摘し、時に改善のためのアイデアをだし
しかしそれを採用するもしないも作家側に決定権があります。
そう聞くと「その人にいてほしい!!」と思う漫画家は少なくないんじゃないでしょうか。
ちなみに、日本の映画業界でもここ20年ほどでスクリプトドクターが存在しており
映画監督でもあり現役スクリプトドクターでもある三宅隆太さんなどは
さまざまなメディアでそのお仕事の実態について発信しています。
「スクリプトドクターの脚本教室・初級篇」「中級篇」という書籍も出ています。
スクリプトドクターの脚本教室・初級篇 - 株式会社新書館
ネットで無料で手軽に概要を聞きたいときは、以下からネットラジオ形式で話を聞けます。
https://www.tbsradio.jp/311853
まとめますと、スクリプトドクターとは作り手の意に添わぬ形で作品に手を入れる職業ではないし
むしろ商業作品のクオリティアップのためには必要なクリエイティブな職業ともいえますが、
この文章ではまるで「ポリコレ(この記事の中では表現の自由と相反するものとして評される)」を
強要する職業であるかのように語るのは、職業や立場に対する偏見です。
ここは強めにはっきりと批判します。
2点目。
「だいたいの盛り上がりは決まっていると。」
「アベンジャーズ』みたいなのが、どれ見ても同じかもしれないですよ。しれないけど、やっぱりヒットすると。」
についてなんですが、
でも日本の漫画ノウハウ本とかでも「起承転結を意識しましょう」とかいわん?
日本の漫画も「一時期全部のラブコメ漫画がラブひなみたいになったときあったよな」とか
「少年少女が戦う学園異能バトル漫画ばっかやな」とかよく言われてると思いますが。
「盛り上がりが決まっている」については、おそらく発言もとになってるのは映画脚本術などでよくみる
「感情曲線」とか「三幕構成」といった話を指しているんでしょうが、
起承転結と同じく「よくある物語の型」として紹介されているでしょう。そりゃよく使われますよ。
日本の漫画家だって、物語を作るときにいまいち面白くない、だが構成を整えたらぐっと良くなったとか
流行りの世界観や設定をもってきて自分なりにアレンジして安心感とオリジナリティを見つけるとかは
それこそ日常的にやってることでは。
近年はネットフリックやAmazonプライムが、視聴者が見ているドラマをどこで離脱するのか
秒単位で観測して、それをもとにドラマを作られていくに違いない、とかまことしやかに囁かれていますが
じゃあ日本の漫画家がその感情曲線を知りたくないかって言ったら知りたい人も多いんでは。
もしかしたらそれが、自分の作品品質をさらに上げてくれるものかもしれないと思ったら
とりあえずは知りたいじゃないですか。使うかどうかはともかく。
構成とか型とかってものは本質的にそういうものなんじゃないですかね。釈迦に説法だと思いますが。
3点目。
「めちゃくちゃ配慮されてますよ。『アベンジャーズ』。」は本当に悩ましい発言で。
というのも、私が知る限りアベンジャーズとは、そこまで配慮ができている作品とはいいがたいので。
お題になってる「ポリコレ」、ポリティカリ・コネクトレスとアメリカ映画の関係で
私が映画を見始めた20年ほど前からず~っとよく言われているものが
「たくさんの人種を出す」であるとは前記事でも話しました。
そこへいくと「アベンジャーズ:エンドゲーム」までの22作品のうち
単独ヒーロー映画でアフリカ系出演者がメインヒーローになったのは1作、
女性出演者がメインヒーローになったのは1作、アジア系出演者にいたっては0作です。
つまり全然(人種や性別は)多様じゃない。
もちろんサブキャラクターの中には多くの有色人種もいますし、スーパーパワーを持った女性もたくさんいます。
ですがあくまでサブキャラクターにとどまっています。
特に最終作のエンドゲームにおいては、展開上人類の半分が虚無になったこともあり
残ってるメンツが露骨に初期メン中心だったので、少ないなりにせっかく増やした有色人種や女性キャラクターが減って、
白人男性中心の初期アベンジャーズ中心に物語が進むようになります。
それは、私が初めてポリティカリコネクトレスに行き会った時に見た
「映画の中から偏見や差別を撤廃するために(目的)、複数の肌の出演者を採用する(手段)けど、
話の展開で有色人種すぐ死んで白人ばかりになる(目的の転倒)のダメだろ」
と、非常に近い構造を持っているんですよね。
私はそういう構図になってしまったことを、それまでの展開をシリーズを続けてきた文脈からいって
特段それを批判の対象とすることはしませんが、一方で多少の登場人物を間引いただけで
こうまではっきりと「特定の肌の色と性別」に割合が大きく偏ってしまうというのは
問題の根の深さ太さを感じずにはいられないと思います。
これ以外にも、特にシリーズ後半でよく指摘された観点として、セクシャルマイノリティの扱いがあります。
シリーズ17作目「マイティ・ソー バトルロイヤル」に登場するヴァルキリーというアフリカ系の女性戦士は
原作コミックではバイセクシャルであることが明かされていましたが、
映画作中でほかの女性戦士に思いを寄せるシーンこそ、ほんの一瞬あっても明言されない演出にとどまり、
これに対して「セクシャルマイノリティがいないことにしたい意図があったのでは?」と批判が上がりました。
元発言に戻ると、「アベンジャーズは(ポリコレに)配慮している」とありましたが
実際にはポリティカリコネクトレスに含まれる、マイノリティ(人種、性別、性的志向)に対して
結構わかりやすく背を向けてるとこがあります。
なので「ポリコレ」なんか支持しないぞ! と考えてる人は
むしろ今のアベンジャーズの路線を応援するといいんじゃないでしょうか。私は一切支持しませんが。
>赤松:もしそういうのがあったとして、科学で漫画の構造を分析して
>「ポリコレも含まれていて、必ず当たる漫画」っていうのが、
>もし海外で受けるようになってものすごく金が儲かった場合、
>我々はどう考えるべきか? っていうのはすごく悩んでいるんですよ
ここには複数の違和感があり、非常に指摘が難しい。
それと同時に、悩みの根っこのようなものには少しの共感があります。
まず「ポリコレも含まれていて、必ず当たる漫画」については
少し違いますが「ポリコレが含まれていて当たった作品」について覚えがあります。
2014年の映画「ベイマックス」です。
この作品は主人公がアジア系アメリカ人で、周囲にもアフリカ系や中国留学生などが様々登場し、
アメリカ映画の中では「ナード」などと呼ばれて軽んじられがちな研究者やオタク性質を、
理系の大学生であり研究者ゆえにヒーローパワーを持ったという設定で前向きに描きました。
当時、アメリカ映画の根底に常に流れる「白人男性のマッチョさが中心に動く物語」に知らず
なれていた自分としては非常に新鮮に映ったんですね。
当時は私と同じように、アメリカ映画をたくさん見るあまり、知らず知らず慣れていた人たちが
ベイマックスを見て「ポリティカリコネクトレスってこういうことか!」と強く感銘を受けたし
作り手の無意識にある「偏見や差別」をもんのすごい手間と資料と予算とかけて制御しきり、
それでいて「面白い作品とはなんだ」と突き詰めて、実際に面白い映画を作った手腕に舌を巻いていました。
↓当時の私のブクマに残ってた記事など。当時の空気がわかるでしょうか。
ベイマックスが最高すぎて恐怖すら覚えた件
ベイマックスが最高すぎて恐怖すら覚えた件 - ヨッピーのブログ
ベイマックスの「政治的正しさ」とクールジャパン
ベイマックスの「政治的正しさ」とクールジャパン - Togetter [トゥギャッター]
『ベイマックス』を見て日本のクリエイティブは完全に死んだと思った
『ベイマックス』を見て日本のクリエイティブは完全に死んだと思った
私からすると「ポリコレが含まれていて当たった作品」は
すでにベイマックスにとどまらずたくさんあるし、散々分析されて、
再現性が計算されつくされて量産し、社会で流通しています。
5年もたってたらこれらの成果は誰しも知らず目にしているでしょう。
逆に言うと、すでに量産されて社会で流通しているからこそ
多くの人の目に留まり、誕生から40年近い歴史があるのに
「ポリコレなんてここ5年のものでしょう」という人まで現れたともいえるかもしれません。
そうやって、どうしようもなく「ある思想」が流通している状況があったとして
思想自体の是非や賛否ではなく、ただただその思想とは別のところに目標がある人からすれば
歯がゆい気持ちになるのは理解します。
そうやって歯噛みする気持ちについては、先ほど紹介した記事に着けた自分のコメントを置いときます。
>2014年の「今時こりゃねえよバカ」大賞は同じくディズニー制作の映画「マレフィセント」だと思う。
>今のディズニーならすべてその方向にいいもの作ってるわけじゃないし、叩かれまくってる日本製も同様じゃないかな。
>ディズニーもピクサーもそも米国映画産業自体がとっくの昔から効率化による集合知産業だけど、
>今も9割駄作で見捨てられ1割の名作をみんながもてはやしてるだけだと思う。
>米国映画産業はずっと昔から超分業制でそれゆえ作品と監督と主演の適性が何より重要なんだと知ってるよ。
この見解はいまも変わってません。
私がこの記事で主張したいのは、「ポリコレ」の是非とかではなく、
「自分たちとは違うやり方」で多くの人の心を揺すった成果にたいして
戸惑ったり警戒するのもわかる一方で、
私見ですけど、結局それらもやり方が違うだけ……違う道を通っているだけで、
「たくさんの人の心を揺さぶる」というゴールを目指し、時に失敗して転んで、
でも誰かが上手い方法を見つけて一歩進む、ということを繰り返すのは
別に日本の漫画もそれ以外も同じなんじゃねえかなあと思ってる次第です。
「屈しない」「負けてない」とよく記事中に出てきますが、
どうかそれは他文化の耳慣れない用語や職業を悪しきものと断定して語るような態度ではなく
同じゴールを目指す競争相手として、誠実な気持ちがあってのものであってほしいと思いますよ。
そんな感じでーす。