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ルックバックとか刃牙とかの話題を見ていてなんとなーく感じたこと。
 
作中の過激で一方的な暴力描写を批判するにしても、大昔のはてなでは痴漢モチーフのエロ漫画に対する議論があったけど
その頃は暗に「この作品によって現実の誰かが加害に至るかもしれない」意識からの批判が多かったように思うんだが
いま目に付くのは「過去に実害を受けた人のフラッシュバック懸念や、被害者への配慮」意識からの批判が増えてるよーな? 気がする?
ルックバックの犯人像への指摘にしても、「偏見を助長するかも」という形の「被害」に向けた懸念だよなと。
 
もちろん、痴漢エロ漫画は限られた市場(法律的に・趣向的に)の中で、誰かが強い意志で選んだうえで消費されているもの、
先に上げた2作は広くメジャーな場で消費され、既に多くの人にリーチしているコンテンツであるという前提の違いも大きいと思う。
 
「加害に至るかも」という声はいまでもあるけど、以前ほど前には出てないというか、
批判側の声としてもマイナー派閥になっている気もする。
 
その変化が何を示しているのかはよくわからん。
それだけ被害を受けた人やその二次加害への世間的認知が進んでいて、過激な描写を見てふとよぎる人が増えたのかもしれない。
だとするなら、それ自体はいいことだと思う。無かったことにされてた「酷いこと」があらわになって、研究もケアも社会的に進むのだろう。
 
一方で、曲がりなりにも手遊びで漫画とか描いてる自分としては、考えることが次から次へと出てくるなあという気持ちもある。
思考を突き詰めれば、ようやく世に認知され始めた概念も、これから見出されるかもしれない概念の全部に配慮しろと言われたって物理的に無理だしさ。
被害があるなら加害が必ずあって、じゃあここでいう加害って何さ?と考えると作る手が重くなるし、
そういう意味では今も昔も論点は変わってないともいえる。
 
じゃあそ被害ケアと作品演出はトレードオフの概念かというと、そうは思いたくない。
実際問題、性暴力被害の話を聞いていると「受けた被害と同じことされているフィクションを読み書きする」という話は珍しくない。
詳しいことは専門家じゃないのでわからんが、そうすることで何かの整理がつくこともあるかもしれんし、ないかもしれん。
被害者ケアという立場であるからこそ、守らねばならない表現領域てのもたくさんあるってことだと思う。
 
(ここからエロ漫画の話をします。これも配慮だな)
 
ところで痴漢漫画の話なんすけど、当時
「ステレオタイプに描かれるような、派手で露出の高い女性が被害を受けてるわけじゃない。
 地味で反撃の出来なさそうな女性を特に狙っている卑劣な犯罪だ」とははてなでよく見かけたし
その後の世間的な痴漢被害への認識も、そういう方向に変わっていったなと思う。
(派手で露出の高い女性は被害を受けていいわけじゃないですよ。これも当時のはてなでも言われてたなあ)
んで、痴漢漫画の方もそういう方向に変わんなかった? いまや地味清楚をアンアン言わせる分野になってない?
はてなで見かけた話題や議題が、コンテンツに顕著に反映されていった事例じゃないかと、今回の件でちょっと思い出したりもした。