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どこにも書く場所ねえな~と思って初めてログインした。
ラブタイツ広報企画の件で、思うところがたまってるので置いとく。
 
初めて企画を見て、その後のあれこれ見ててずーっと思ってるのは、良し悪しとか以前に「どういう意図をもってあの絵を描いたんだろう」ってことで、それについてつらつら所見を書いとく。
 
絵描きその人の責任だって問いたいのか!? ってそうではなく。企業の広報案件てどんな内容だって、まず絵描きの外側に企画者という、絵を作って世に出したい人がいるわけやなすか。
この場合の絵描きは「きっとこの人はこういう絵を作り出したいんだな」という意図を組んで絵を出力するので、あくまで絵を生み出して世に送る装置の一部分なわけで。ちなみに、だからそこに責任などないのだ! って話をしたいわけでもないです。全体の一部だっつってんの。
 
ともかく、「こういう感じの絵をいっぱい描いて世に送ったらいい感じかもしれねえ」という誰かの意思があって生み出されて、まあたぶんそれは噂の広報担当さんなんだろうけど、その人の責任を問いたいわけじゃなく、ていうか誰かの責任を問いたいわけじゃなく、ただただ「この人は何を世に伝えたかったのか」の部分がずっと引っかかってて。
実際この感覚って、あちこちの反応みててもしばしば「どういう依頼書だったんだ?」と言ってる人がいるように、みんなこの絵と企画の真意が伝わんないと感じてる人は、まあまあ珍しくないわけでしょう。
何かが引っかかって伝わんないんだよなあ。あんなにレベルの高い絵なのにね。
 
趣味の絵だったら、なんかかっこいい・なんかかわいいでも成立するけど、大人に予算もぎ取ってたくさん調整するからには、絶対プレゼン資料に「これはこういう企画です!」って書くでしょ。それが知りたい。
 
それでまあ、絵の魚拓を眺めたり、特に本業イラストレーターさんがこの案件に向ける感想をぼちぼち見てたら、
某イラストレーターさんが「絵描きのpixivみに行ったら、普段はこういう傾向の絵をかかない人が多い。だからやっぱり依頼側がメッセージ性を指定してると思う」という旨のことをいうてはって。

そこでぼんやりと浮かんだ企画意図が「素敵なタイツ姿でドキッとさせちゃお!」だった。
やけに絵のこちら側に呼び掛けるようなキャプションやシチュエーションが多いのと、特にスカートまくってる絵の発想を思うと、今のところこれが一番しっくりきた。
ものによってはこちらに積極的なアピールしてない絵もあるから、広告的なメッセージに置き換えるなら「そのアイテムを身に着けてることで、あなた(客)の魅力がアップしますよ」の一派なのかなと。
 
魅力が上がっている状態を表現で伝えるにはいろいろ手法があるけど、この場合は「誰かの魅力があがったことでドキッとする人がいる、ことを客が観測することで『あの人の魅力が上がったんだな』と感じる」の手法ね。
漫画やアニメでも、美人といわれてるキャラクターが、周囲のモブからきゃあきゃあいわれるシーンを見ることで、読者が「この人は魅力的な人なのだな、と感じる」という形で日常的に使われてるやつ。
 
広告、それも身に着けるもので、そういう演出をつけることの効果は少しねじれてて。
だって魅力的だと感じる人とは、そのアイテムを買って身に着ける人その自身ではないわけでしょう。たいていは、誰かに魅力的だと思ってほしい別の誰かがそれを身に着ける。
だから広告は「誰かにはあなたはこう見えるかもしれませんよ、これを身に着ければね!」と示すことで購買意欲をあおってくる。
 
同時期に話題になったチュチュアンナの広告も根っこは同じで。あれは、こういうコーディネートにこのタイツを合わせると可愛いですよね、と語ってくる広告でしょう。
ただあっちはもう少し支店の構造がシンプルで、客自身が姿見を覗き込んだ時の距離でいってくる感じ。
絵の構図から言ってもほぼ真横からの構図で姿見っぽいでしょ。特定の誰かの目線を一回介して魅力を伝えるアツギの演出より、身に着けたものを鏡の前で確認して良しあしをチェックするような、客の主観にぐっと近い。
 
ちなみに、主観だからよい、客観だからよいという話をする気はないし、そういう話に引用されるのも遺憾です。
技法的には、このメッセージを伝えるためにはどちらの方法がよりよく届くだろうか、という使い分けの差です。
 
「誰かにはあなたはこう見えるかもしれませんよ、これを身に着ければね!」というメッセージって割と大事で。それによって「これは広告なんですよ」という前提が伝わる。
ビル街で大爆発が起きて逃げ惑う人々の映像を、報道映像という前提で見るのか、映画という前提で見るのかで、受け取る側の心証は全然違うわけじゃないすか。一番困惑するのは報道なのか映画なのかよくわかんないやつ。そういう演出をつけてる映画もあるけど。
 
ともあれ、絵師ファン増田が追記で書いてたアツギの広告絵への「タイツを履く人の目線じゃなくてタイツ女子を愛でる視線が強い」という感想は、たぶんそういうところからきているし、
と、同時に「誰かにはあなたはこう見えるかもしれませんよ、これを身に着ければね!」という広告としてのメッセージが弱いゆえに、
「タイツを履いてる女性の姿を、誰かが観測している絵」という絵の表層の情報だけが強く印象に残り、
さらにPR案件であるという事実に「えっ、なんでそんな絵をタイツ売ってる会社がわざわざ作って世に出したの!?」という困惑が、私の中にはずっとあるのね。
 
なので、その困惑を少しでも自分の中で解消するために、あれこれ読んで聞いて今この記事書いてる。まあ、全部憶測ですけども。
 
自分はずっとその点がすっきりしなくてあれこれ人の感想を見たくて情報を追っていた節があるので、それ以上の話は語れるほど思うところはまだない。
 
仮に私が感じてたような困惑を最初から感じさせない企画だったら、もっとカラータイツや柄物の比重を多くして「こういうタイツもあるんだ~」情報を厚くしてたらとか、防寒対策でタイツ履く時期にだいたいみんなフトモモ出してる服なのやめたら顧客の感覚とマッチ度高まったんじゃないかとか、そういう広告としての情報を手厚くしてたらとかとか、一社会人として考えることはありますけど。
でもやっぱり、問題視する人が現れなかったかというと私にはなんも保証はできん。表層をめぐる問題は、いつだってなんだって大なり小なり課題を抱えていると思う。
私が日常的にタイツを買い装着する立場として、この企画をみて無視をするでなく、自分たちに寄り添ってないことに失望するのは、絵の本来の意図とは異なる、しかし日常的に立ち会う嫌なエピソードと全くの無関係であるとも言い切れない。
 
その一方で「ああいう性質の人が参加したから駄目だったんだ」「こういう性質の人がやってるのに叩くなんて見境ない」などという人は、私からすれば、誰かの持ってるだけの性質を理由に、雑~に表層物が持つ問題を切ろうとしているという点で見分けがつかない。作った人の性質を絡めて語るってそりゃあるけど、それにしてもこれは浅すぎてそうじゃねえだろと。
美少女ものが好きなやつは変だとか、美少女ものが好きな女性なんかいるわけないとかこの期に及んでいってるやつは言わずもがなだし、批判する側は美少女ものが好きな女性を傷つけたから悪い! みたいにいってる人も、美少女ものが好きな一女性でありながら、企画に批判的な感想も抱いた私みたいなやつは視野の外ってことでしょ。それって前者とどれくらい違いがあんの?
 
そういう、語ってる人らの姿に思うところはあるんだが、それは別にこの件の本質ではないのでもう追いかけたくない。