ヒトコト
腹立つなあと思ったこと。
私は横浜に住んでいるのだが、なぜだか神戸の料理を看板に出している
料理屋やパティスリーは珍しい。
ちょうど、神戸牛を謳い文句にしている牛丼屋が街にあったので、
「神戸牛か。横浜には珍しいなあ。」
と母に言う。
母は
「京都には敵わないでしょ。」
と一喝。
私は關西風にいう「あほらしやの鐘がなる」みたいに言われた感じがしてがっかりした。
確かにごちゃごちゃ言う人には「あほらしやの鐘がなる」って一喝言えばいい。
だけれども、それだけでいいのだろうか。
他に考えるのは、関東において近畿圈が
「大阪や京都が存在し、土台である奈良が存在し、關東とは一線を画す場所」
という考えばかりクローズアップされて、そのイメージで近畿圈を見る人が遥かに多い。
そのように考える人々が
まるで織物みたいに、肯定的な色彩の糸と否定的な糸として絡まっていて、
中々神戸のイメージが伝わらないきらいが存在する。
私は横浜に住んでいるのだが、なぜだか神戸の料理を看板に出している
料理屋やパティスリーは珍しい。
ちょうど、神戸牛を謳い文句にしている牛丼屋が街にあったので、
「神戸牛か。横浜には珍しいなあ。」
と母に言う。
母は
「京都には敵わないでしょ。」
と一喝。
私は關西風にいう「あほらしやの鐘がなる」みたいに言われた感じがしてがっかりした。
確かにごちゃごちゃ言う人には「あほらしやの鐘がなる」って一喝言えばいい。
だけれども、それだけでいいのだろうか。
他に考えるのは、関東において近畿圈が
「大阪や京都が存在し、土台である奈良が存在し、關東とは一線を画す場所」
という考えばかりクローズアップされて、そのイメージで近畿圈を見る人が遥かに多い。
そのように考える人々が
まるで織物みたいに、肯定的な色彩の糸と否定的な糸として絡まっていて、
中々神戸のイメージが伝わらないきらいが存在する。