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ヒトコト

私が「腹が立つなぁ。」と思ったのは、
いつの頃だったか、
「世界三大料理といえば中華料理・フランス料理、トルコ料理らしい。」
と私が口走つたのだけれども、母親は
「地元の身びいきかもしれないけれども日本料理の繊細さは
世界に冠たるものだ。」
とヒトコト。
そんなことを言うと、タイ人がタイ料理を持ってくるよ。
と心で思った。
あまりに日本のことを褒める人でない母親が言うと、
なにか怖いものを感じた。
いかにも1950^70年代の戦後復興・高度経済成長の名のもとに
日本がどうアイデンティティを確立し、欧米コンプレックスを
解消していくかみたいな思想が背後に存在し、
トルコ料理なんて考える必要もない。みたいなものが言わせているのだろうなと
考えた。
私は世界三大料理なんて笑い話のようなものだと思っているが、
母にとっては笑い話ではないのだろう。
そして、「憧れ」、「豊かさ」、「勇気」のようなポジティブな
言葉が人を縛ってしまうことも。
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ヒトコト

私の高校時代取っていた英文法には、国連英檢だなんていう
言葉を言う人がいた。彼からは、いや彼女か
「安全に生きるために、憧れもなにも捨てて窮屈な健全のために生きよう。」
みたいな空気を感じた。
私は母親の天皇制に反対する考えには共感している、
だからそれにはとやかく言わない。
しかし、それよりももっと嫌なのは
1960-70年代的な
「アメリカの豊かさ・憧れ」
みたいな空気である。
「北米とか英語圈にアジアで失敗しないために精神の上での安全
を買っている自分ら世代からすれば、
母親はそれに憧れて、光を見ている。
だから衝突が起きる。
自分は自分の好奇心が抑えきれなかったけれども、
今思えば、
英語圈とかに関する思いを憧れに変換できれば、自分の気持ちが楽になったのだろうか。
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ヒトコト

腹立つなあと思ったこと。
私は横浜に住んでいるのだが、なぜだか神戸の料理を看板に出している
料理屋やパティスリーは珍しい。
ちょうど、神戸牛を謳い文句にしている牛丼屋が街にあったので、
「神戸牛か。横浜には珍しいなあ。」
と母に言う。
母は
「京都には敵わないでしょ。」
と一喝。
私は關西風にいう「あほらしやの鐘がなる」みたいに言われた感じがしてがっかりした。
確かにごちゃごちゃ言う人には「あほらしやの鐘がなる」って一喝言えばいい。
だけれども、それだけでいいのだろうか。
他に考えるのは、関東において近畿圈が
「大阪や京都が存在し、土台である奈良が存在し、關東とは一線を画す場所」
という考えばかりクローズアップされて、そのイメージで近畿圈を見る人が遥かに多い。
そのように考える人々が
まるで織物みたいに、肯定的な色彩の糸と否定的な糸として絡まっていて、
中々神戸のイメージが伝わらないきらいが存在する。
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ヒトコト

高校時代、「ハングルなんてファッションでやるのはやめなさい。」
と言われて仕方なく英文法をとった。
好奇心でやっている人が多かったハングルのクラスを羨ましい
と思いながら、英文法をとったんだけれども、
その時、一人の女子生徒がいた。
彼女はその後研究職になって人権などを研究しているらしいのだけれども
今は思えば、好奇心やノリよりも堅實で、安全な世界を選択して
その中で、アメリカに接近するというタイプだったのでは。
母親のように、アメリカの豊かさ・憬れという概念がすごく濃厚な世代からすれば
僕ら世代の
「アメリカや北米を見るのは勉強のため、ある種の妥協。
一瞬つまらないけれども、アジアに行って大やけどをするよりは堅実に
生きるためにアメリカに接近する」
という空気の体現者のように今になって思う。
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ヒトコト

なんで、ローカルセールスってことがを思いついたか。
それは一部の人に大好きで、神聖視されている台湾の人とネットで話しているときに、
{自分のところのサブカルが近所の海外にも流行るものが作れないのは当たり前だ}
みたいなことを発していたのを思い出す。
なんで、そんなことを考えるのだろうか。日本のサブカルだって台湾や欧米の人が
面白がるなんてあんまり考えないで作った企画がある。純粋に日本の市場だけで狙って作られた
って某特撮・アニメのWikipediaのスペースで読んだことがある。
それが日本の実写ドラマが台湾であたり、日本のアニメが欧米で当たる
事実は
私は一種のまぐれ当たりみたいなものだと思っている。
韓国の「国民の妹・弟」という単語も韓国サブカルも元々ローカルセールス狙いで作られた時代
が存在したからそういう単語があって、ファンも自國のサブカルを応援する部分から出てきたんだろう。
なんで、台湾は自國のファンを信じられないのだろうか。前述の臺灣人は
「ハリウッド映画と日本ドラマに台湾のドラマが挾撃にされている」
みたいな言葉に多少呆れていた。
日本だって韓流ドラマやムトゥが紹介される前、ハリウッド映画に混じって
フランスやイタリアの映画が紹介されていた
時代があった。(戰前から1970年代頃か)でも、力を失って徐々に紹介されなくなった。
その代わり自國サブカルが賑やかになった。
そういう歴史的事実が我が国に存在するから尚更台湾は怖い。
現在台湾において力を失った日本ドラマに対して韓流ドラマが流行っているという。
また、外国サブカル・・・。
最後に、
ハリウッド映画と日本ドラマに台湾のドラマが挾撃にされている」
って考えは臺灣人自体が、不安や恐怖を背負込むだけだ。
台湾のサブカルの表現があれば、
海外サブカルの違和感をはねのけられそうなものだが。
私がアメコミ表現が受け付けないように日本の萌えアニメ表現を鼻で笑えると思うのだけれども。
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ヒトコト

井沢元彦の「逆説の日本史」の制作の背景だけれども、
お寺と神社を曖昧のもと利用している部分、
神仏混淆という背景などを感じる。
何でも批判するものじゃない。
あと、韓国サブカルの「国民の妹、弟」
という単語。
韓国サブカルもローカルセールスを重要視する空間があるということだ。
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ヒトコト

思うところがあったから、ここに書く。
私はccさくらの木之本桜が好きになれなかった。企画建ての仕様程度にしか
考えられなかったからだ。小狼と木之本桜、知世ちゃんと木之本桜という
カップリングは苦手だった。
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ヒトコト

ここ最近、オリンピックやワールドカップに関して思うけれども、海外開催で日本人派遣
という空気に傾いているのだけれども、
そういえば鈴木大地だって、ソウルで金メダルを取ったのだった。
彼もPressureの中近年の羽生結弦・宇野昌磨みたく健闘した。
海外の形勢不利の状況でできる人はできるって昔から考えている。
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ヒトコト

私は右保守には批判的だけれども、行き過ぎた
右保守を過渡に不安を煽る風潮は苦手だと思う。
右保守への萬能な力を持っているかのような不安は
逆に右保守の真の力を見誤るのでは、
餘談だが
最近「親日國」、「反日国」という言葉を使う人々の間でも、
台湾がそこまで評価する必要がないと考える人が増えてきたのは
ホッとしている。
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ヒトコト

私がムトゥとか韓流ドラマ、元ちとせを批判する
母親に怒るようになり、母親の考えの、背後關係を
やたら難しく考えるようになったのは、
oasisやbulrの日本への紹介があったからだと思う。
これまで、母親が憧れていて、
深さに感銘を受ける音楽がジャズの同心円状に展開していて、
当時はエッジの効いた表現と持て囃し、今となっては
伝説と語り継ぐ音樂がロックジャズにたくさんあった。
それが、カート・コヴァーンの急逝後、oasisやbulrの日本への紹介が
存在し、苦い現実を噛みしめることになったけれども、
その苦い現実を噛みしめて、他に面白さを見出そうとしている
自分に、あたかもカート・コヴァーンが生きている時代が
続いているかのような感情で自分たちの時代の
苦さを理解しない母親のことを許さなくなったのかもしれない。
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ヒトコト

私は来年の東京オリンピックやらなくてもいいんじゃないかと
思っている。
それを感じたのは、2018年の平昌五輪と2018年の
サッカーワールドカップロシア大会だった。
ここで、
「羽生結弦、宇野昌磨1,2finish」
とか
「大迫半端ないって」
とマスコミや世の人が騷ぎたてるのを聞いていて、
「フィギュアやサッカー以外の競技でも海外でオリンピックやっても
安定したFIGHTの人は安定してやれる。」
という考えだった。
もし、海外開催のオリンピックが何處かで開かれたとき、
水泳とかで上位入賞が相次いだらその時の人は東京オリンピックを
どう考えるのかな。別競技の羽生結弦、宇野昌磨、大迫は
どういう動きをするのか。なんだか楽しみだ。
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ヒトコト

昨日の続きになるけれども、1960/70年代とか、最近でも城東地方で
考えられている
「朝敵にされてしまった東北」
「貧しい東北」
「上野駅のある城東地方がより貧しい東北を守らねば」
みたいな考えよりも
東北出身の作家である
高橋克彦氏が主張する
「東北の繩文の匂い」
という考えに馴染みやすい。
だから人は関西だけでも、東北だけでも生きているわけではないと
考えてしまう。
それと、1960/70年代、民謡ベース東北出身の歌手に
演歌や昭和歌謡を歌わせてしまうのは、致し方ない部分があったのでは。
今だったら、東北の元ちとせみたいなアーティストが作れそうに思う。
元ちとせのあり樣を認めなかった母親にここ十数年いきり立っとったが、
登場の音楽のあり樣を考えれば洋樂に影響を受ける人と、
民謡土台の人には斷絶があったようにも思える。
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ヒトコト

「私はフライドチキンやハンバーガーに憧れなかったけれども、コーヒーを介して
西洋に憧れを持った。」
という母親の言葉に、極めて1960/70年代の夢みたいな感じを受け取ってしまった。
そして、母親がしばしば口にする「ジャズの深さ」というのも
同心圓上に存在するその他洋樂がちらついて見える。
母親が青春を過ごした1960/70年代に我々が知っている元ちとせのような振舞である、
民謡の歌い方でポップス風の編曲のアーティストやプロデューサーは
出てきただろうか。奄美とは言わないものの、東北出身の女性にそういう振舞をさせただろうか。
「東北の縄文の匂い」
みたいな振舞をさせればかっこいいと思うのだが、当時はしなかった。
泥臭い演歌や昭和歌謡に対して、いわゆるロックジャズみたいな對抗軸でものを考える時代
だったように、リイシュー盤や中古盤のlp/cdから類推してしまってる。
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ヒトコト

https://bit.ly/2BCkU4X
上記urlで紹介されている大陸製企画
巴啦啦小魔仙(ばららしゃおもーしぇん)だけれども、
元ネタの日本製のプリキュアやファントミラージュという企画が存在して、
その影響下で作られている企画なのは否定しない。
例えるならば、スティーブ・マックィーン氏が出演した「ブリット」をベースに
「太陽にほえろ!」が作られたように、大人気欧米映画を土台にして、日本人の
ペーソスで作られた、テレビドラマやアニメみたいな感じがする。
先日発言した韓流ドラマ同様あんたがやらなくてもいいんだよと言いたくなるけれども、
結局みんな作る。
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ヒトコト

ここだけの話、
韓国ドラマ「オールイン」だけれども、今考えると韓国人のペーソスで作られた
「テセウスの船」というか「グランメゾン東京」という空気空間だった。
なんともはや韓国とは政治方面でうまくいかないし、私も嫌いになる部分が
ままある。
だから台湾に臺灣人のペーソスで作られた「テセウスの船」というか「グランメゾン東京」という空気空間
を作ってほしかった。
しかし日本で紹介される臺灣ドラマは、臺灣人のペーソスで作られた「花の子ルンルン」というか
「クリィミーマミ」という企画ばかりだった。
(アニメの話題を出して恐縮だが空気感が例えるならば
こういう企画に近いベタさ加減だ.)
「花の子ルンルン」というか
「クリィミーマミ」
という企画は「闘将ダイモス」とか「機甲創世記モスピーダ」があってのそれらの企画だ。
ダイモスもモスピーダもなく臺灣人のペーソスで作られた花の子ルンルンやクリィミーマミを
他国で
「オールイン」、「テセウスの船」を流すべき枠で流す台湾は大丈夫か、そのままアンチ韓国の
旗印にしてよいのだろうかと大いに悩んだ。
なまじっか韓国よりいいイメージがある台湾だから悩むところだ。
時代とか枠を考慮して、「のだめカンタービレ」を流さなければいけないタイミング、
「プリキュア」を流さなければいけないタイミングってあるよね。
「テセウスの船」や「スカーレット」、「オールイン」、あるいは
「プリキュア」を流さなければいけない枠で
改造版「花の子ルンルン」を流すのは苦しいよ。
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ヒトコト

「腹たつなぁ。」
と思う一言。
「シンカリオンが終わったら、また大人番組になってしまった許せない。」
みたいなヲタクの言葉が苦手だ。
一般人にもヤンキーにもいるけれども、日本人特有の
「異論を認めない」
みたいな感じが怖い。
「ヲタクはヲタクらしく」
「ヤンキーはヤンキーらしく」
「一般人は一般人らしく」
みたいな考えって多くの人が考えるのかもしれないけれども、
「ヲタクぶるのはださい。一般人っぽく振る舞いたい。シンカリオンは家族の目を盗む
感じで見るのがいい。」
みたいなやつの心って、
「異論を認めない」
という考えの人々はわからないんだよね。
私はある面ではシンカリオンがすっぱり終わってくれて良かったとも考えているんだ。
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ヒトコト

光秀=天海説を信じたくなる一つの説として、
なぜ加藤家が改易されたときに、細川が入ってきたのだろうか。
他にも適役がいたはずである。
それでも加藤家がいなくなったあと、細川家が肥後藩の藩主家になったのか。
やはり、光秀のかつての親族だった、細川家に圧力をかけやすかったのかなと
推測してしまう。
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ヒトコト

今日、emailのチェックをしていたら、
旦那のイライラという一つの項目に嫁姑問題が
存在していた。
家では嫁姑ドラマは、嫌惡を通り越して
一つのタブーになってしまっている。
母親が存在しないものに仕向けている部分もあるからだ。
逆に母親が考えるポジティブできれいな世界が、
身勝手で宗教的で1種こっちのほうが怖い。
こういうことを自分の雑記帳のようなものに
書いたら、すごく怒られたし、
「好みの問題だ」
「ポジティブに考えちゃいけないわけ。」
と言われた。
あったのかもしれないけれども、無理して見せなかった
部分もありだ。
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ヒトコト

今朝からの張本勲氏の話題になるけれども、
「あなたが張本勲氏が老害っぷりが許せなくて降板させろと考えているけれども
主な視聴者世代の代辯者だから降板できない。嫌なら見るな。」
これに似たことは私が
「戰國時代と幕末偏重の大河ドラマは、日本における戰國時代と幕末に相当する
李氏朝鮮を舞台にした企画をやりつつも朝鮮半島の三國時代や高麗に取材した
映画やドラマを多数企画する韓国サブカル・時代劇の制作現場に負けるから
近現代や古代、八代将軍吉宗で描かれた時代などに取材先を求めたらどうだ」
と自分のネットの個人スペースなどに書いたことがあった。
でも、
「韓国のサブカル現場が羨ましいのかもしれないけれども
不特定多數が戰國時代と幕末が気に入っていて、それを覆すことができない
戰國時代や幕末が嫌なら見るな。」
と言われたときのことを思い出す。
「不特定多數」
とか
「中高年」
という単語を振り翳して、
「嫌なら見るな。」
という風潮をどう考えるか。
もっとも、私は「サンデーモーニング」は気にならないけれどもね。
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ヒトコト

「サンデーモーニング」の張本勲氏への批判が止まらない。snsや外部私設サイトで
彼への批判が止まらないが、半年ほど前、彼を降板できない背景を
某ポータルサイトで読んだことがあるが、
「この番組が、インターネットをやらない中高年向きで彼らの代辯者として
張本勲氏を降板できない。そんなに嫌なら見るな。」
みたいな情報がリークされていた。
そんな単純な感じで逃げるだけで大丈夫か。
「俺はアニメや特撮が嫌いだから平成ライダーやプリキュアを見ない。」
みたいな軽い感じだけで、人は感じるのだろうか。
「中高年を盾にとってコソコソ逃げるな。」
と受け止める視聴者や野球ファンも存在するのでは。
鳴り止まない張本勲氏をsns/批判サイトで攻撃が止まらないのは、そこにあるのでは。
そこら邊気をつけて。
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ヒトコト

「ポストエヴァ」という単語がヲタクやアニメファンの間に、語られているけれども、
「ポストエヴァ」に躍らされているのは、以外にも放映していたテレ東もなんだろうなと
思っている。
「本放送で、人の心に突き刺さる企画を展開する。それなりのスタッフも招聘して。」
という思想をテレ東に植え付けて、実写ドラマ枠の
ドラマビズにつながっていると思う。
エヴァの庵野秀明氏に対してラーメン西遊記の鈴木京香氏という人選をみていると、
なるほどなと思う。
ある一定の時代より前のテレ東の再放送だらけから訣別したい空気を
見ていて再放送が多いtvk/mxが昔のテレ東のコンセプトを引き継いでいる。
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ヒトコト

母親は自分が死ぬことを望んでいる。
「お前は挨拶ができない返事ができないコミュニケーション能力0だ。」
と言った。
こういった自分のことを、直さない自分が死んでも、母親はほくそ笑むだろうなと
思うことがしばしば。
お前なんて生きる価値がない。母親は自分が生まれてこの方そればかり口を開く。
お前は私が口を酸っぱく言っても、何も聞かない。
お前は何十年も暮らしていて、治そうとしないのは、生きる価値がない。
お前は生きることなんて考えてはいないだろう。
お前は勤め先で言ったら一発で首だと。
私が人より劣っていると思うのは、母の怒りがいうからだ。
母は怒りにこそ本音が存在するから。
母親に怒られなくなったら自分は成長するのかなと思うときがある。
いつも母親に人をイヤーな気持ちにさせると言われた。
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ヒトコト

先日ブルーインパルスが現れたわだいのことだけれども、
これを全面的に肯定する話題と、
「これに感動するのは全體主義だ。」
という不安を煽るような批判のニコイチの意見がある。
「それに異論を認めない。」
という感じがして、なにか怖かった。
右保守にも荷担できないけれども、右保守反對派の極端な悲觀や不安も怖いときがある。
私は右保守反對派の極端な悲觀や不安が引っ張られる部分が強い。
今の「ニコイチ」の意見が飛び交うネットやその他日常が怖い。
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ヒトコト

「怪物くん」に出演している、嵐の大野くんやTokioの松岡、
「金田一少年の事件簿」に出演している、堂本剛、
「トクサツガガガ」や「nhk地域ドラマ」に出演している、ボイメンの構成員、
実写版
「映像研には手を出すな!」に出演している、乃木坂の構成員とか見ていると、
少女漫画ドラマの王子様役ばかりやらされている台湾アイドルが悲しい。
悲しいかな、日本のアイドルにさせているような類似の行動を
映画やドラマでやっているのは、韓国のサブカル関係者だ。
キョンキョン、薬師丸ひろ子、岡田准一、長瀬智也などをいいふうに汚しまくっている
クドカンみたいなスタッフは韓国にはいそうだけれども、
台湾にはあんまりいそうもないなぁ。インターネットやムックなどを一瞥しながら
そう考えた。
そして、「韓国のクドカン」、「韓国の三谷幸喜」みたいなプロデューサーや脚本家が
映画やドラマの世界にいても全く興味がない。
そして、「タイのクドカン」、「タイの三谷幸喜」みたいなプロデューサーや脚本家が
存在しても興味がない。
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ヒトコト

日台合作ドラマ「路」のnhkと合作したpts,意外と日本や韓国のドラマのような作品が多い
日本人がやたら持ってくる台湾の少女漫画ドラマよりは、日韓のゴールデンタイムの
連ドラ風なので、アンチ韓国の人のためにこれをもっと持って来るべきなのでは。
少女漫画は男性誌あっての少女漫画だと思う。1クリィミーマミファンの私だからそう思う。
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ヒトコト

漫画と比べて、活字は「活字を読んでいる行動そのものが、かっこいい。」と信じている人が
かなりいるように感じる。執筆者もそういった行動そのものが、かっこいい。と思っている人に
うけるような立ち位置を演じなければいけないようにも思える。
又吉直樹氏は少なくともそういう態度を演じている。
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ヒトコト

一部の日本人が理想郷のように崇[あが]めている台湾の話題。
もう萌え擬人化がいやだとか日本の萌えアニメがいやだという。
逆に感じたのは、
「日本を含めた海外の文化に接近しすぎて不安や恐怖になっている。
不安や恐怖になるぐらい日本・海外文化に接近しすぎるのでは」と思った。
ある意味自分らのローカル流行文化をたくさん作れば、海外の動向も
気にならなくなるのではと考える。
ある意味韓国のドラマや映画は日本のドラマ・ゲーム・アニメみたいな立ち位置や要素を
韓国社会では帯びているのではと私見であるが、考えてしまう。
日本人としてアメコミが気にならないのは、日本のサブカルが充実して大量に
作られているからだろう。
ココ最近日本でnhk朝ドラが100/101作を迎えたけれども、そういうサブカルの企画枠が
台湾には存在するのか。
少なくとも韓国にはありそうだ。あるいはタイにもありそうだ。
だけれども、そこまで知りたくはない。
あったとしても知りたくない。
台湾だったら存在してほしかった。でも、そうじゃないから悲しいね。
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ヒトコト

機甲界ガリアンの音楽だが、アニソンであることを
考えないで聞いていて、ワタシ的には、ごちうさの世界觀よりも
「かわいい、きれい系列」
の絵柄のクリエイターの企画だったら、
私が知っている中では、吉住渉氏とか和田尚子氏の世界觀の
劇中の
TV、インターネット、ラジオなどで流れている音楽というところだろうか。
アニソンなどで
「この音楽、他のクリエイターやプロデューサーの企画世界の方に合うのでは」
と考えたことがしばしばある。
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ヒトコト

また、アジア映画絡み。
私はインターネット普及以前からアジアヲタクの何を言っても、
「アジア映画・音樂はこう楽しめ。」みたいな態度に腹を立てていた。
それを母親に話したら、
「そういうのはジョン・レノンを殺した人も同じなんじゃないの。」
と言われた。
呆れて物が言えない状態になった。
また、自分の得意な欧米の流行シーンを持ってくるのか・・。
かっこ悪い日本の流行があって、それに対する雲の上の欧米の流行シーンみたいな
考えでばかりものを考えるから、自分の得意な世界に強引に持って行って、
それでしかものを考えられないからすごく怒ってしまった。
インターネット普及以前10-15年ほど前から香港を中心としたアジアの映画や音楽の
日本のファンダムはすごく閉じているなぁと思って苦しく思ったことがある。
彼らとどう一線を画するか。
アジアに関心を持った私はずっと考えていた。
そんな苦しさを母親は理解しなかった。
日本と欧米の対比にだけで見る年配者。
「アジア映画・音樂はこう楽しめ。」という考えで異論を認めないある一定より下の世代。
「j-popがー、日本のドラマがー、日本のプロレスがー。」という感じで日本の流行だけで
固めているある一定より下の世代。
それはそれでどうも苦しい。
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ヒトコト

私の母親は、アジア映画が嫌いである。少し前に、話した、ムトゥや冬ソナをバカにした。
そして、こういうのにハマるのはあなたの世代で、ソウルオリンピックや中国の改革開放
などが、影響を与えているんじゃないのと言われた。
逆に母親は、スヌーピーとかディズニーとかスタンド・バイ・ミーみたいなアメリカ映画的な
記号が好きなのだ。oasisやbulr以降、洋畫や洋楽に失望している部分もある私としては、
「年寄り臭い」
と考えたこともしばしばだ。
でも、韓国やインドといった日本以外のアジアの映画やドラマは、「俺はアジアの映画しか見ない。」的な
宗教家が、ムトゥ以前、冬ソナ以前、もっとさかのぼってインターネットの普及以前から
存在して、彼らの論調が、幅を利かせるのが悲しい。
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ヒトコト

どうも、親世代のアメリカの豊かさってのは、なぜだか受け付けない。
ある一定の世代は「アメリカの豊かさ」、「アメリカとは馬が合う」みたいなことを
言うけれども、私からしたら、「アジアは危険だから、こっちにしなさい。」と
無理やり押し付けられている感じがして嫌いだった。
昔はそういうふうに考えても許されたのかもしれないけれども、
なんだか、存在が大きいものを無理やり押し付けられている気持ちのほうが大きかった。
あ、「ムトゥ」や「冬ソナ」に対する自分の意見は日をおいて発言する。
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ヒトコト

先日youtubeでごちうさの画面にマジカルエミの音楽を乗せるMAD動画を
発見したけれども、なんだか、マジカルエミの音楽がアイドルソングみたいだ。
劇中にもアイドルが出てくるわけでもないし、歌っている人もアニソン歌手らしい。
でも、マジカルエミが公開当時、アイドルとして売り出していた、薬師丸ひろ子氏
みたいな声だなと感じる。
マジカルエミ自体、リアルタイム世代なのだが、熱心なファンじゃないから
あまりピンとこなかった。
それでもミスマッチの妙を見せるmash upだと思うと楽しかった。
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ヒトコト

自分が私淑した絵師様が、最近懐古趣味が強すぎて引いてしまう。
物事色々『△△はダメだが〇〇は良い』って考えなきゃだめなのかもしれない。
僕にとって、昔は良かったってその絵師様見たく思えない。
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ヒトコト

よくメディアで、大阪vs東京みたいなのを煽るけれども、頼むから関東/東京の代表を
城東地方の人間を持ってこないでほしい。彼らと考えている事が他の東京や関東と違う
と思う。彼らの大好きな世界は他の土地にとっては例えば沖縄や富山と同じ感覚
で受け止めている人がいる。
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ヒトコト

親に禁じられれば禁じられるほど、気になり、憎しみが増す男が
存在する。小学校時代のnという生物である。
親は「子供らしくない危険な男だ」と彼に憎惡を向けた。
そして、先生に寵愛を受け、専横を極めた。
私をいじめたに人間はその後たくさん出たけれども、後味の悪さでは
この男が一番だ。
未だにのうのうと巨大な存在として君臨している。
親は「あいつはなにもしていない。忘れなさい。」といって
手荒い手段で忘却に望ませようとするけれども、親に言われれば言われるほど、
憎しみの炎が燃える男だ。
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ヒトコト

私が半藤一利氏が苦手なのは、城東地方の正しさを抱えているかもしれない。
なぜ、城東地方は「北の玄關口」という機能ばかり背負ことばかり考えるのだろうか。
みんながそれを許しておだてた歴史があったからかも。
「こいつ、勇者である俺を煽[おだ]てるのだけは得意なのな。」
とyoutubeなどのwebでゲームの実況をしている方が漏らしていたけれども
「煽[おだ]てるのだけは得意なのな。」
と気づいた期にわかるときだってあるのでは。
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ヒトコト

私は原作者は大道寺知世にも出来杉英才にも
傷をつけることをしていると思った。
Happy Endの裏の犠牲があるならば、
なにか別な道があってもいいのではないか。
私も出来杉英才や木之本桜に対して厳しい表情を見せることが
しばしばあるからそう考えるのかな。
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ヒトコト

今必要なのはテレビの影響を全て無くするインターネットサイトなのでは。
1950/70年代のテレビって映画を見ないテレビファンのためのテレビという企画展開が
たくさんあったと思う。
いまpixivとかに足を運んで思うけれども、ヲタクが「異論を認めない」という世界で
極端な意見を述べているのをやたら聞く。苦しい。
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ヒトコト

私は木之本桜が好きになれなかった。
というか、企画建ての仕様だと思っていた。
私は李小狼が好きだった。
私は大道寺知世が好きだった。
「木之本桜を侮辱するのはだめだ。異論を認めない。」
みたいな空気は怖かった。
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ヒトコト

わたしは異論を認めないという世界があまり好きでない。
元々共産党に共鳴していたが、異論を認めない空気・空間に嫌氣がさして、
逃げることをした。
でも、他でも異論を認めない空気・空間は右保守にもいるし、
鉄道ヲタクにも一般人にも存在する。
そうして、自分の信念に基づいて自分のライフスタイルに合わない人を罵つてる。
私は鉄道には興味があるけれども、もし岡山に赴くとしたら、飛行機を
使うときだってある。