yamodoki

modokiさんのエントリー

id:yamodokiのミニブログ

--- fans

yamodoki

勝手に引用

>>
 ただね、俺が不思議に思ったのは、なぜ飯伏とケニーがこのタイミングでタッグを復活したんだろう、そして、なんで新日本はタッグを組ませちゃったんだろうって。
 昭和のプロレスをやってきた天龍源一郎は常々「プロレスは伝承文化だ」って偉そうに言ってきたけど、逆に進化するプロレス、22世紀へのプロレスを作っていくのは飯伏とケニーだと思うんだよ。オカダだとか内藤ではなく、たぶん俺が散々バーチャル・プロレスだと揶揄してきたこの2人なんだよ。
 例えばかつてはサーカスという言葉が一般的だったけど、いまじゃシルク・ドゥ・ソレイユのように、そのジャンルのなかで進化し、突出したものが代名詞になっている。
 プロレスに当てはめれば、今でもプロレスは従来のプロレスの枠を超えてないし、プロレスという言葉で語られている。
 ちょっと突飛な話かもしれないけど、未来の若者たちが「むかしプロレスって呼ばれてたヤツだね」といった感じで表現する、進化するプロレス、今とは違った闘いを生み出す可能性を持っているのが飯伏とケニーだと思う。新日本もそれを期待して大金はたいてケニーをWWEに行かせず、新日本に留まらせて、フリーの飯伏を使い続けているのかとばかり思っていた。
 だから飯伏とケニーが戦うことで進化するプロレスをもっと浸透させたり、違う表現ができたりとか、そういう期待をしてたけど、これがタッグを組んじゃうと、お互いがお互いを殺しちゃう。それがプロレスの何か不思議なところなんだよね。
>天龍源一郎『龍魂時評』 (週刊プロレス 2018年)04/04号 No.1949>