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ココでのキャラが変化しているのでは、とちょっと前に指摘されたことがあった。そのとおりですね。

長崎での裁判の顛末を書いた、既に非公開になってるブログを先週久々に読み返したのですが、今だとこういう書き方はしないだろうなあ、と思った。あれは「前キャラ」だなと。
変化してきたのは、環境や気持ちや、もろもろ変わったからだとも思うけど、一番の理由は「普通になっちゃった」から。僕が表現活動を始めた頃、僕が演ってたことや考え方、キャラなんかは、その当時の一般のものとは異なっていました。だからこそ自分の立ち位置の意義もあったし、旧社会の価値観を変えてやるんだ、みたいなモチベもあったのです。
しかし、最近どうでしょう。世の中のネット論客みたいな人々や、村民的な人たちは、みんな当時の僕みたいです。それが普通になってしまったのです。久々に、自分自身の非公開ブログの文章を見た時、いまこんなヒトばっかりやんな…と思った。
このことは、3年くらい前に実は薄々気づいてたんですよ。でも、当時僕は長崎に居たので、その気付きが果たして正しいのか、確証が持てなかった。地方で受けてる感覚と東京じゃ違うからね、なので、その仮説をしっかり温めておいて、東京リターン後に、中央感覚で、もっかいしっかり検証してみたい、と思っていた。で、実際にそうなった結果、やっぱりそうやんな、と思ったということです。
こないだ誰かがツイッターで、岡田斗司夫や小田嶋さんと、町山氏を比較していた。前者は居場所をなくしつつある人、後者は居場所を残してある人、みたいな分類だったけど、ああ確かにそのとおりだわ、と思った。岡田や小田嶋さんみたいな人は、今や、ごく普通の人です。20年前の最先端は、20年後の最後尾なんです。
いま、みんなが僕みたいだ、と書いたけど、じゃあ、僕みたいな人が、当時から隠れてたくさん居たんでしょうか?さぁ…。それはどうかな。

キャラの変化といえば、ここでかつての人間関係を描く際に、以前はネタ系キャラ名で呼んでたけど、いまは実名で書くでしょ。これも変化した点。そこはちゃんと書くべきと思ったの。でないと、茶化してるみたいじゃん。そうじゃない、僕は大まじめに今でも怒っているのだ、という、その気持ちを表明して置かなければならない、と思ったわけ。
怒りや恨みと、その人物が産んだ作品の評価とは違う。それはそれ、これはこれ、とケジメをつけるべきだと思った。だから、茶化してはいけない、全責任を負うという意味で、あえて書いたのだ。

話は戻るが、ネオ麦茶から15年経ち、全員が15年分、年を取った。ただ単にそれだけなんである。同じ場所に15年居続けて、会社の老害社員みたいになってしまっただけなんである。団塊だって、当時では新しい人々だっただろう。でも、今や老害の代名詞である。キレる17歳として颯爽とデビューしたネオ麦世代も、気がつけばアラフォーに一直線ということなのである。「新人類」だった岡田や小田嶋さんが、とっくに老害なのは、あたりまえだろう。