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"id:maicou" でひとこと

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まああれですよね。同級生メンバー卒業したので、こっちの自粛期間も終わったということなんですよね。
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ブクマからの流れですが、私のNGSK移住は12年前になる。その頃はまだ昭和レトロなサブカルというジャンルも東京中心な文化で、地方にまでは浸透してない頃だったので、私が持ってたそういう視点を地元民に理解してもらうのは難しかった反面、当時を語れる生き証人や2代目さんがたくさんいて、そういう話をたくさん聞けたという利点もあった。ちょうど街が変わり始めた頃だったので、みんな熱かったわけです。つまり私と、そういう彼らが同時に似たようなスタートラインに居て、いろんなことを始める事が出来たってことですね。
5年くらい経って、中央の大御所さんがリターンしてきたり、昭和レトロ的NGSKという文化価値に気づいた輩が暗躍し始めたりと、私が好きに出来る状況ではなくなってくる。金脈には人が集まってくるからね。そうして私はさることにしたという感じ。その辺はココでいろいろ既に語ってる。
大災害で2年くらい足止めされたのは想定外だったが、その2年の間に乳仕事が勃発したのだから、これは運命だったんだろうなあと思うな。
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ありがとうございます。お返事しました。
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おお。近々まとめますってw そして1年半後だったと。

このイベントよかったよね。みんなが楽しい思いをした。まあたやります。
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たまたま見てたらリアルタイム更新されてびっくりした。
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過去ログ読み返してたらアンナカ(アスカのこと、当時こういう隠語で呼んでいた)事務所に誘われた思い出話が書いてあり、そういえば私マッキーさんの事務所社長にも呼ばれて話しされたなあと思い出し、ちょうど最近の逮捕事件とあわせて、自分の縁に改めてゾクゾクしているところ。
ちなみに僕が呼ばれた当時の社長は、今回のとは別な人だったのだが、やっぱり後日なにかの詐欺で逮捕されており!意外に彼まわりには薬物や犯罪関係者が多いのである。(テレビ速報で流れたときビックリした。あああこの人知り合い!!!と。)
当時どちらも超ビッグな方々でしたし、そんな方々に気に入られた自分も名誉なことだとは思うんですけど、薬物やゲイ関係の興味がない自分にとっては「直感で」あまりこの事務所には行きたくない、と思ったというのは、本当に危機回避能力高いなあと自分で思いました。あとは、前の俳句に書いたとおり、自分はもっと尖ったことをやりたかったから、彼らの事務所では「足りなかった」のですよね。そこであの世代に加わらなかったからこそ、今の自分の2010年代の活躍があるんだからね。
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やっぱり肉体に圧倒的表現力がある人が発するものには敵わなくて、こういうのって訓練とかじゃなくて、脳の中から何かを見つけ続ける作業によって身につくものだと思う。
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そう考えるとね、こないだ閉店してしまった、うちの2階の「超絶美味しいイタリアン」のことがものすっごく残念に思うのですよ。ともかく美味しかったし、マスターもキッチンの妻も、口下手そうだけど頑張っていたし。だからこそ、そこにクレバーさを感じたからこそ、5年であっさり見限って閉店します!と決めたことも、味のクォリティと同じレベルの判断能力だったんだろうって思う。
まあ唯一残念なのは、これからは「うちの2階が超絶美味しいイタリアンだから是非来なさい」みたいに誘えなくなったことですねw
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私らのときも晩年には意地の張り合いバトルだったなあ。わたし使った食器に一旦水入れて1時間くらい放置してから洗うんだけど(こびりつき系がすぐ取れるから)、相手はその放置がすごく嫌だと言ってた。
私の方は、相手が生ゴミを排水口のところに捨てるのが気持ち悪くてすごく嫌で「それGが出るからコッチじゃやめてくれ(相手も北海道出身)」と何度言っても直してくれない。毎日毎日このバトル。
わたし今でも、別れた一番の理由は何?と問われたらこれを挙げるくらい嫌だった。共同生活とかって会社運営に似てると思ったな。こういうこと、奏法で決めていかなきゃいけないのに出来なかったのだから、解散するしかないという結論だった。
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ああこれ、こないだの「オタクはすぐ怒る」の話と繋がってるな。そら、上の世代にあんなのしかいなけりゃ怒りたくもなるわなw

僕の場合は、そういうことがありすぎて、もうスッカリ諦めてしまい、自分は自分だからと、とっとと自分のことを始めてしまった、という流れやね。人のことを怒ってる暇があったら自分でやってしまえ、という信条をそこで得たという。
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最近よく、ワシラより上の世代はあかんというけども、そう思うに至る、今も印象に残る事例を思い出したので書いておく。
レストランとかバーとかラーメン屋とか、まあなんでもいいのだけど、全然関係のない店の店名に有名アーティストの名前をつける、というのが今もよくあると思うのです。ネットを始めたばかりの頃ですかね、自分が大好きだった超有名ドラマーの名を付けたラーメン屋を見つけて、これはさぞかしマニアに違いない!すごいすごいと思って尋ねていったのですね。そんで店主にそのドラマーの話を振ったところ、好きは好きだが別にマニアとかじゃないし、ロック全般が好きなだけ、と言うのです。ただ単に店名にするならこれだと思った。みたいに言う。わたしホントにガッカリして店をあとにしました。美味しかったけどね。
なんと同じ名前のバーがNGSKにもありまして、そこも尋ねていったのですよ。そうしたら、そこもまったく同じで特にマニアでもなく、店名にするならこれ、と決めたというのですね。
ほかにも、ビートルズのメンバーの名前を付けたスタジオもありました。そこも同じで尋ねていくと、別にマニアでもなんでもなくて、小さい頃から好きだったので、自分がスタジオを持つならこれだ、みたいに思ったということでしたの。
これね、今の時代なら、そういうお店に行ったら、店主は「ちゃんとマニア」だと思うのですよ。というか、そうでもないのにそんな店名、許されないでしょう。たとえ文句は言われなくても、淘汰されてしまう。
でも昔は違ったのよ。浅くてヌルいやり方でも存在が許されてたの。そんな常識の世の中で、自分みたいなマニアは「面倒なやつキター」みたいにいつも扱われた。そういう、浅くて別に構わない的な価値観の世代が、まだ随所に高い地位で残ってる日本ということなのよね。
サブカル以前の日本は本当に、全てにおいてそんなだったの。そういう軽くて浅くてもいいという価値観の人々がバブルを最大限に食い尽くして、今に至ってるのだわ。そういう意味では、個人的にはサブカルウザいと思うこともあるけど、日本を救ったのはそういうサブカル世代でもあると思ってるのよね。彼らがいなけりゃ、日本の文化なんか滅んでたよ。感謝しないと。
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ちょっと関連で続きを書こうと思ってたので書く。
人というのは自分が生きやすい場所を見つけて生きるものだと思う。それが生存本能だということも判る。だから「自分が君臨しやすい場所」に行く、というのも、その人なりの生存本能なんだと思うの。
たとえば「おっさんキラー」みたいな人が居るけど、彼女もそこが居心地がいい、というよりは、他所の居心地が悪かったのでそこに避難している、ということなのかもしれないなと思ってる。サークルクラッシャーみたいな人もたぶん同じで、それは意識して試し行動をしてるというよりは、そこでそういうことをしてしか生きていけない生物だと考えるほうが理解しやすい。
生きやすい場所を見つけられずに、もしくはその自由が許されない人が、病んでいったりするわけだから、やっぱり人間にはそういうの必要なんだと思うのよな。
僕はこの10年間くらいで、嫌だ嫌だと言いながら現状を変えようとしない人々や、こうしたい!と未来を語りながら一向に実行しない人々にたくさん会った。そういう人々に比べると、大風呂敷だろうがおっさんキラーであろうが、何かを見つけられた分だけマシなのかもしれない、などと思った。…好き嫌いは抜きにしてですがw
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昨日ですが、アイドルで有名になった曲が、オリジナルはダサいおっさんの歌だったと知って(Youtubeにオリ版があった)、ショックを受けてるファンの様子がFBで繰り広げられてて、自分の辛い過去を思い出すなど。

カバーされたほうが有名とか印象強いバージョンだと、そのオリジナルの人が歌ったりすると、イメージ崩れるからやめて欲しい、なんて理不尽なことは、よく言われたりする。そう考えるとアイドルのセルフ歌ってる私は、だましだましみんなに浸透させたのでうまくやってる方だろうと思ったけど、振り返るとそれには長い道のりがあったなあと。

僕の場合はカバーを歌ってたりすると「イメージぶち壊しだからやめてくれ」とよく言われたし、ほんとにイケてない男子だったから、歌関係では酷いことを本当にたくさん言われた。自分じゃ上手いと思ってるのに他人にはそう思われない。たぶんそれは表現方法とか丁寧さの問題なんだろうと、自分でもわかってるんだけど、でも出来ないのよね。自分は洋楽ロックばかり歌ってたので、日本語の歌の表現方法がわからなかったのよね。だから、英語の歌みたいにJPOPをぶっきらぼうに歌って、どこでも嫌がられた。でもそれで正しいと自分は思ってたんだよなあ。
まあそんなことが続いたから、ドラマー&ハモラーになってしまったんだと思う。ホテル時代より前までは、自分は歌で認められることは一生ないだろうとまで思ってたな。
そういう紆余曲折あっての今だから、「男子ヴォーカルは聴かないけどアナタの歌だけは受け付けられる」みたいに言われたり、アイドルセルフを歌っても拒否反応なく受けるのは、当時の自分からすればホント隔世の感があるなと。見た目から歌の語尾処理からキャラ作りから、そういうことをやっても拒否反応が起こらないように自分を作り上げていった努力が実ったのだよなと。そんなことを思った。
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補足の補足なんですけどw イジメの話のときにも言ったけど、私被害者でもあるけど、加害もしてるからね。だからこの件も、昔の自分は、先人の風習を受け継いで昔気質のハラスメントぶりを発揮してたこともあったと思うよ。例えば昔の自分の言動が映像や録音で残ってたとして、今の自分が検閲したら、至るところに「ピー音」入れたくなるような痛い発言はしてると思う。
そういう自覚があるから、いま殊更ココを意識するようにしている、ということなのだね。
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http://twitter.com/MyoyoShinnyo/status/954161332667826176

この件補足なんだけど、昔から母親と話すと「おまえはなぜ音大や放送局を辞めたのか。何をやっても続かなかった。情けない」などと責められたのだが、最近ブラック企業や電通の件、日野テルの話などのおかげで、業界の酷いホモソミソジニー&ハラスメント気質について知られるようになり、最近やっと「わかったでしょ?こういうひどい世界だったんだよ。居なくてよかったでしょ?」と言うと、少しずつ納得するようになってくれた、というのはかなり大きかったね。
まあ昔は「そんな世界でも耐えるのが当たり前」「みんなどこもそう」だから「そんな世界だったとしても挫折したほうが情けない」と言われてたけど、ようやく「そうではない」ということを理解したようだった。
これ前も書いたけど、散々私に「真っ当な職につけ!」と口うるさかった母が、山一と拓銀の破綻を見て「こんな世の中になると思ってなかった…。自由に生きたお前のほうが正しかったのかもしれないねえ」と言ったという事案ががあったから、やっぱりこういうことは昔からの常識で生きてる人々には「実際に見聞きしないと」ピンとこないので理解されない、というのはよくあることなんよね。
まあただ僕も、頭が固くて一生理解されないだろうと思ってた母親が、このように柔軟になっていく様子を見ることが出来たことは良かったのではないかと思った。長く生きてくると、こういうこともあるんだなあ…みたいな。ソ連の崩壊とか年号が変わったりとかを実際に見て「今歴史を実体験してる!」みたいに思ったみたいな、あの感じ。
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補足しますと。
そういう経験を経て2000年代に僕が試みたのは「手癖の高品質システム化」。そんなモチベとかそんなことで振り回されるのは仕事とはいえないという自覚があって、2000年代に再び気持ちが燃えてきた時に、今の一連の動きを全部システム化すればいいのでは!と気付いたのだな。モチベややる気がまた失われても、今の一連の気持ちや作業の流れを覚えておけば、擬似的に再現できるはずだ!と。それから作風をさっさと「型」にしてしまおう!と。それまでは、色んなタイプのものがあるのが理想的だと思ってた。「幅広いですね」みたいに言われることが嬉しかった。でもそれじゃずっとは続かないと悟ったのよ。それよりも「聴いて一発で私だと分る型」を作ったほうがいい、と。それのバリエーションで続けていく、という工場生産型を思いついたという感じなんだな。今後どうなるかはわからないけど、とりあえずそれでやってみようと思ったのが、今こうして続いてるという感じです。
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そう。もうずーっと言ってるけど僕は音楽家とかになりたかったのではなく、まともな人になりたかったんだよね。それがたまたま音楽家になったことで果たせたということに過ぎないんじゃないかって思ってる。…果たせてしまったかどうかはわからないけどw
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たくさんブクマしてるけど、ひとの不幸は蜜の味というドラマは本当におもしろかった。当時わたし、ホテルを辞めて毎日毎日曲作りしながら、午後は再放送のドラマを見ていたの。その時に見たのがこれだったのだな。
大竹しのぶさんが少女漫画家の大御所役、そこに義母であるピン子が無理くり居ついて振り回すというドラマなのだけど、漫画家の創作に関する周辺が実に細かく上手く描けてて、大御所で落ちぶれつつもやがて復活に向かう、という再出発のドラマになってる。
月とキャベツとかもそうだけど、こういう一連の「行き詰ったアーティストが何かをキッカケに復活する」というドラマは、原点はセロ弾きのゴーシュだと思っていて、この場合はピン子がそういう役割を果たすわけだけど、大竹が復活するだけでなく、それまでの大人子供みたいだった未熟な人間性まで大人になるところが素晴らしいのよね。
僕はこういうのを見ながら自分自身の創作をしてて、つまり作品の質の向上に人間性の成長は欠かせない、というのは、この辺の経験からそう思うようになったのだな。
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無効なURLです

僕がココでしょっちゅう書いてた「NGSKでの自分は駆け込み寺みたいになってた」というのはこういうことなんやな。これはホテル時代の末期にもあった。みんなが僕を何かの救世主的に捉えて、毎日のようにやってきては悩みやら愚痴やら語るわけだよ。それはいい。僕もそれでいろんなことを知ったし、考えることも出来た。
ところがだ。今度は自分が何か悩んだり相談したいと思って、それらの人々に声をかけたところ、ほぼ全員がサーッと離れていってしまったのだ。見事だったよ。いやちょっと…とか、自分はそういうのはわからないんで、とか巧妙にこっちを避けるわけ。特にNGSKでの晩年は、そういうことでほとんど人が居なくなったし、その件に関しては今も許せないと思ってるけど、まあこういうことからも僕が当地でどういう存在だったかわかるでしょ。あの人達は自分で解決するとかそういう意識がまったくなく、ただただ「田舎だ」と愚痴ってるだけなんである。ちょうど一昨日、自分の段差ブログ読み返してたんだけど、いろいろ思い出して辛かったな。東京から来たミュージシャン!きっと自分の気持ちをわかってくれるはず!みたいに寄ってきて、田舎は閉鎖的なんです!みたいに語っていく。閉鎖的なのは手前の脳みそだろ、と思うけど言わなかったけどね。でも、それに近いことを遠回しに言ったので、相手と疎遠にはなったね。今まで同意してくれる音楽家ばっかりだったので、私に否定されたからショックだったんだろう。
こういうことがあるので、マニアは嫌なんだよ、という最近のツリーの話題に戻っていくのであるw
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帰国しました。もっとも、誰にも帰郷のことは言ってないけどw

帰郷滞在中に某メディアの取材を受けたのだけど、NGSKから首都圏リターンしたいちばん大きな理由はなんですか?と問われましてわたし、「東京ステイタスが賞味期限切れになったから」と答えましたわよw
それは土地に馴染んだってことでいいことのような気もするけど?と言われたので、まあそうなんだけど、奴らのミーハー気質に今後耐えられる気がしないと思った、と答えたな。つまりありがたがられなくなったから終わり、と総判断した。このあとは閉塞感の中で病んでいくだけ。じゃあ故郷と同じでは?と思ったというのが大きいよね。
まあでも、戻って5年目なんですよ。そうしますと、また別な意味で「行っても」いいかな的には思ってます。拠点はこのままで「行き来する」。それでいい気がしたな。
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前回の大晦日の高揚感てなんだったんだろうと言うくらい、昨日はどうでもいい年末だったな。
理由を思い出したのだが、実家で年末年始を過ごすのが7年ぶりで、その7年前のときになんと!自分が旅立つ日に父が脳梗塞で倒れてしまうという大事件が勃発し、正月どころではなかったので、去年はそのリベンジの意味があったのだと。そう母に言ったら、なるほどそうだった、あれから7年だったのか、としみじみしてたけども。わたしとしては当時、わざわざ九州から行ったのに、そんなことになってしまい、ホントくそ父と思ったんだけど、未だに生きてて、年金も家のためになってるようだから、まあよかったのかもしれん。
自分としては、その7年前のリベンジで、母と寿司やら年越しそばやら紅白やらおせちやら、ゆっくりと楽しんだから、それで大満足して気が済んだんだよね。だからもう今年はどうでもいいという気になった。まあそもそもずっと氷点下で寒いですからw 冬に行っても家にいる以外にすることないんだわ。
そんなことを思ったな。来年の正月とかあるのかねえ。もうほんとわからない。自分もわからないし両親高齢なのでそっちもわからないし。桜じゃないけど、当たり前のように来年も同じ年が来ると思えてるのは、すごく若いときだけだなと思う。
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その変換www
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さいきんオッサンの中身は少女だっていう、私が30年前に言ってたみたいな言説が流行ってるけど、それ自分に都合の良い可憐で健気な女子がいるだけだからな。
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こないだから、自分がフェミニズム的なものに関して別に嫌な感情とかないのはどういう理由か、と考えてて、ひとつには70年代の米国産ドラマをよく観てたからだと言ったけど、それ以外に、ごくありがちな風景として、地方都市で進学校に行くと女子は普通にフェミニズム的な考えになってしまう、ということがあると思うよ。現に自分の周りの女子はみんなそうだった。地方都市で女子が進学校に行っても、その後の選択肢がすごい限られてしまって、大学進学で上京できればまだマシな方だけど、みたいな現実で、当事者としてそういう考えにならざるをえないのよね。
同年代のこと、ここでよく書いてるけど、当時そういう考えだった女子のみなさんの今はどうなってるんだろう。あまり確認したことはないけど、まあ独身だったりの人も多いよね。キャリアウーマンど真ん中世代で、それこそ数限りないセクハラ・パワハラも受けただろうし、理不尽な制度と戦ったこともたくさんあったはず。僕はむかしからオバサマに人気のある子だったので、そういう話を聞く機会がとても多く、普通にそういう思想の中にいた。おそらく、同期の女子の人と今話しても似た内容になるんだろうなとは思う。でも僕ら高校の頃に、自分たちの将来がこんな日本になってるとか、あまり想像してなかった気がする。楽観的に「よくなっていくはず」と漠然と思ってた。でも、今の現状は「思ったほどは」よくはなっていない。でも、昔に比べて破格に良くなった、ということもたくさんある。そういう意味では、まだ未来について絶望はしてない。絶望してない、と思えること自体、僕らの世代がまだ幸せなのかもしれないけどね。
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ここさいきん、引用スターが出来なくなってるのは何故なのですかね。
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故郷同年代がFBで食べてるものや趣味をアップしてるの見るたび「こんな趣味だったっけ??」と驚くくらい、田舎の老人趣味みたいなものばかりなのですが、他にもわざわざ方言で書いたりとか、人間、年取るとそういうところに戻っていくのかしらね。
こないだ自分は早熟だったと言ったけど、せっかくそこで進んでた感覚が歳とともに先祖返りしていくのではたまらんなあと思ったし、そら日本の前時代的感覚も変わらんわな、と思ったなあ。自分の同年代が、僕らが子供の頃嫌だと思ってたおっさんそのものになってることの絶望さっていうんですかね。結局その位置にいるのが楽なんだと思うのね。楽、ってことは日々疲れてるから、せめてここでは楽したい、ってことやろ。ネット無礼講とかも、本人は悪気があるのではなく、たぶん何も考えず素だとそういう考えなんだというだけな気がするな。楽だから自分を繕おうとしなければああなるってだけで。加齢ってそういうもんなのだね。
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宮司の事件はびっくりしましたね。いつもライブやってた目の前だよあれ。まじで。

その後いろいろ考えてたんだけど、日本において弱者を救うのは、そういう組織しかないんだってことが「究極の選択」な意味で絶望的ということなのではないかなと思った。
自分が窮してる時に、たとえ相手が犯罪者でも、それが万引きした品でも「おにぎり食え」って貰ったらありがたいだろうって話。それに自分が抗える気がしない、っていうのは、自分を、引いてはマイノリティや弱者を助けてくれる相手が、「もはや」そういう人しかいない、という意味においてどうなのかっていう話なのかもしれぬ。

昨日の林檎の投稿をしたあと、なんかこれデジャブ…と思って考えてて、ああ!そういえば「ろくでなし子」先生の話を書いた時に似たような感情だった!ということを思い出した。あの時も自分は、彼女のやることについて、内容について「ではなく」彼女がやりたいと思ったことに「水を差す」人について文句を言ったはず。今回の件もまったく同じで、内容についてはあまり精査せず、そのモチベを止めてはいけない的に思ったなと。
それは前に書いたように、自分がそういうことを他人に尽く止められた人間だったからである。だからアート関係で足を引っ張ってくる人に対して、自分はものすごく敵視する傾向にあると思った。

…ココまで書いて、この先を突っ込んでいくとプライベートの領域に入ってくるので、そこは今は書けませんので、とっても中途半端なところですが、ココでこの文はいったん終了させてもらいます。
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なるほど。偽の2択というのはいい言葉です。それを子供(昔の自分も含めて)に理解しろと言っても難しいかもだけど。
私も首都圏リターン4年目になり、やっと極端から極端への揺り戻しから戻ってきつつある気がします。
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林檎の記事が話題になってるけども、あえて言わせてもらえば、私はあそこに自分自身の父への恨みを重ねて見てしまう。
常々言ってるが、父は労働組合の委員長経験者だし、街全体も(炭鉱の影響らしい)非常に左派の強い街であった。そういう環境で幼少時代を過ごした自分は、まったく幸福でなく誰も自分を救ってくれなかった、という思いが今もある。つまりそれは、そのままその環境への強い不信感となって今も残っている。私が上京後に考え方が右傾向に寄っていったのはそういう理由が大きいのだ、と。
と同時に、最近よく言っている「業界ミソジニー」という件について、あるいは日野テルに代表される封建的師弟制度について、当初からまったく馴染めず、今も嫌悪感あるわけですが、そういうメディアや芸術会の傾向が非常に左系であることとは切り離すことが出来ないわけで、つまりここでも、自分と父との関係と同じように「でもあんたら私を救ってくれなかったじゃないか」という強い思いがある。
そういうときに、反対方向(その業界内でのマイノリティ側)に敢えて振れていくというのは、故意にしろそうでないにしろ、普通に予想されることじゃないかって思うんだけど、どうなのか。つまり反体制の反体制は体制なのだという、天才バカボン的な発想だよね。彼女がどう考えてるのかは知らん。でも僕は、そこにそういう自分との共通点を見つけた。

最近の話題といろいろリンクしていくが、ブコメにも書いたが、ちょうど端田宣彦氏の話題に関連して、加藤和彦的スノッブの時代遅れ感について改めて考えていたんだけども(自死の直後も考えた)、僕が常々言ってるように、2000年代以降の日本の考え方というのは、それ以前とまったく変わっていて、もちろん加藤和彦的なものなど害悪以外の何物でもない、みたいな風潮になったなか、98年デビューの林檎がまったく正反対(ぽい)人として存在してるのは、時代的気にまったく正しいわけで、戦略にしろ天然にしろ、あれこそが正しい林檎だというのはすごくわかるし。

何度も最近書いてるように、私東京にあまりに長く住みすぎてサブカルに染まりすぎてしまい、そこからの逃避としてNGSK移住があったんだと言ってるけども、例えば加藤和彦にNGSK移住なんか絶対できっこなかったはずだ、と思うし、あそこで全部断ち切って移住した自分は(その後のNGSKで経験したことは置いておいて)、素晴らしい判断力だったと今も思ってる。
NGSKというサブカルの権化みたいな街に住み、それに辟易し、厨二病的サブカルからの卒業を果たせた自分にとっては、NGSK拗らせ民のみなさん、本当にありがとうと言いたい気分ですし。そうなることで業界ミソジニー的なものへのスタンスを自分の中で明確に出来たというのは、ものすごく大きいと思ったのね。

今でも「アーティスト様」のサブカルや左派よりなものと封建ミソジニーみたいなものとは矛盾してないか?という思いはすごく強いの。そんな人たちと与することなんか到底出来ないわけで、今の自分の立ち位置は、そういうことなんだなと、すっごく明確になったことが、ここ1週間の自分でした。というお話。
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もうことねもよりみちさんもここには帰ってこないんやなあ…。みんな行ってしまったよ。せつねいです…。
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カバーをしない話の詳細をちょっと考察。はてなで10年以上前からずっと言ってるので、私のカバー嫌い主張は今に始まったことではないですけど。今回の「オタクはすぐ怒る」の件から派生して、ちょっと改めて考えてみたのね。
特に地方都市に多い「音楽何でも屋」というのが居りまして、それなりに形になるプレイをするので重宝がられるが、別にオリジナル作品があるわけでなし、その手の人ならいくらでも代用が効くので、存在意義を持ちづらいし、こっちもどの辺を見ればいいのかわからない、ということをNGSK時代にたくさん経験しまして、そういうのってコレクターと似ていて、たくさんグッズを持っているのだけど、いったいそれらは何かの役に立っているの?身になっているの?みたいなことと同じな気がしたのね。
歌も同じで、なんでもたくさん歌えるのはいいことだけど、カバーシンガーなんか掃いて捨てるほど居るし、上手いとか声がいいとかも主観じゃないですか。その人生が終わったときに何か残るんでしょうか。みたいに思うのよね。
僕がこういうパフォーマーの存在をあまり好意的に見れないのは、他ならぬ自分自身が20代くらいの頃に、そういうものになりたいと思ってて、しかし意味が無いなと気付いたということが大きいと思いますね。自分も歌だけ上手い人で、曲作りが上手く行かない期間が長かったという経験の持ち主です。こんなことやってても何にもならない、とずっと思ってて、しかし曲がうまく作れない、という辛く苦しい長い時期を過ごしてきて、このままでは人生が詰むし、ろくな晩年にならない、それこそブログで文句ばかり言って怒る人になってしまう。そういう自分の未来の想像がついたわけです。
…というようなことを当の本人に言うと、自分は才能がない、あなたはあるから、などとたいてい返されるのだけど、僕にだってそんなんものないですよ。ただ危機感持って必死だっただけ。
コミケだの文フリだの行って見ればいい。拙いながらオリジナル作品とやらを発表してる人が山ほどいます。それでも「作ったことに」意義があるわけです。
音楽には幸いなことに「カバーをする」という大義名分の逃げ道が用意されてて、それはものすごくずるいと思う。これを画家や文筆家で言えば「模写家」じゃないんですか。二次創作にすらならないと思う。僕は常々、この「音楽にだけ許された逃げ」がすごく嫌で、自分は絶対カバーには「逃げ」ないぞ!と決めたのだな。
まあこういうの個人の価値観と見解だけど、自分で作らない人は、往々にして他者の創作を貶す傾向にあるからね。そんな人生は嫌だと思うのは当然だと思うよ。自分はね。
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いろいろフォローしてたりイイねしてたりした過去の繋がりを整理する。あれやなNGSKでのジャズ関係もそうだけど、昔のトラウマを消すには、再び近づいて嫌な思いをして満足して去る、みたいのが一番よかったよ。スッキリしたもん。今回は鉄道関係とか。去年行った模型展は行かなかった。関係からもFOした。そのかわり自分で集めて実家にディスプレイしたでしょ。結局自分が出来なかったから、他人様のそういう夢に乗ったってたわけで、いや自分でやろうよやっぱり、みたいに思って大人買いして「うわー気が済んだわ!」みたいなことだったのねって。仏スターも同じだったしな。懐かしくて近づいて、こらアカンって離れて気が済んだっていう。たぶん僕はむかし思い残したことや気になってたことをもう一度全てやってみて、「改めて終了!」っていうのがやりたかったんだよね。オトナになった今の自分の感性でちゃんと終了を見届ける、というのをやりたかったわけだ。当時貰い損ねた卒業証書を貰いに行ったんだな。そういうことだったんやなああーー。とw
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こないだのMCで、311のときに意外に大人って全然頼りないんやなあとネットを見て思った、という話をしたのだけど、今の体たらくはあれがきっかけで今も続いてる感じがして、たまたま民主党政権だったので、ネトウヨさんの台頭もあれからお盛んになった感がすごくするなあと。ネトウヨさんの弾丸舌禍に、良識派は付き合う必要なんかなかったのに、みんな煽られて自滅したんだよなあ。あんな悲しいことはなかった。この先二度とネット慣れしてない大人が復活することなんかありえないので、それらを真面目に相手にするのは諦めて、アラフォー以下の世代に期待するしかないというのが今の僕の意見となります。
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今井だの上原だの斎藤だの、かつて好きだったアイドルと付き合えたおっさん歓喜案件が多いのですが、自分だったら誰に該当するだろう?と考えてる。
例のファイナル・エディション2016最新版。
http://maicou.tumblr.com/post/146573166563/final-edition
ここをヒントに悩んでみたが、なんかこれって現役の価値観で出来てるので、かつてのスターが…みたいなことではない気がするんだよなあ。まあでもあえて挙げるとすると、この中では伊藤美紀だったら楽しいかなと思ったりした。なんでそう思ったかというと、この中では彼女だけ「今いない」から。なのでなんか再会が新鮮な気がする、とちょっと思った。
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こないだのヒノテルのことでも思ったけど、わしらの子供時代ってやっぱり変だったと思うよ。いい時代だったとまったく思わないし、それがオトナになっての今現在の世の中なんだから、やっぱり変だったってことで結論でいいんじゃないかと思うんだよね。
個人的な感覚ではやっぱり90年代以降に育った人々の新感覚からが変わっていくきっかけになっていくんじゃないかと思うのだけど。ちょうど、まるまる平成時代なんだよねこれ。どうなるかねえ。期待はしてます。
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子供の頃ネグレクトの子に会ったことがある。いつも遊んでた公園に、見慣れない女の子がいて、みんなで誰だろうとか言ってたんだけど、身なりがちょっとあれで、ワンピースの服が薄汚れてたり、あと臭いんですよ。その当時僕らみんな小4〜6くらいだったと思うんだけど、臭いものは臭いし汚いものは汚いと。明らかに普通じゃない女の子だって判るわけです。個人的には「女の子なのに汚い」というのがすごく衝撃的だった。
そんでみんなでいろいろ訊いて、家はどの辺?とかお風呂は入ってないの?とか、お母さんとかは?とか。
幸い、うちの近所にたまたま児相があったのですね。こういう子は児相に連れてくのがいいって誰かが言い出して、一人が係の人を呼びに行った。しばらくして大人の女の人がやってきて目線まで下がって色々と話を聴いていた。僕らは「あの子臭いのに、あの女の人は平気ですごいなあ」と思ってたな。
そしてしばらくすると母がやってきたのですよ。そしたら母もワンピースぽい姿なのだけど、やっぱり薄汚れてて普通じゃない。で、児相の人と3人でいろいろ話してて、そのうち3人でどこかに行った。
そのあとその女の子に1度だけ会ったような記憶がある(あまり確かではない)。意外に近所のアパート住まいで、こんな近くに住んでたのかと思ったけど、越してきたばかりだったんだな。その後のことは知らない。
近所に公団はなかったので団地住まいの人とあまり知り合うことはなかったのだけど、安アパートがたくさんあったので、そういうところのこういう家族は何人か見たな。
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続報なんやけど、自分が「知ってる大御所のプロや、同世代以上の昔の知り合いとかは擁護派も多いかもなあ」などとなんとなく思った予想をはるかに超えて、全員が強く「日野GJ!」を主張してるのが、ちょっとびっくりした。日野さんもやりすぎなところもあったけど…などと前提を加えることすらしない。日野が正しい!のみ。
…ひええ。と思いました。
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ヒノテルの件は、まさしく僕が常日頃言ってる旧型業界子弟制の典型で、彼らにとっての全く特別ではない日常だけど、今の日本では、特に体罰が排除された現代においては、あれを見せられたほうは、かなりショッキングだとは思うんだよね。
まあしかし、言ってもやめられる人ではないだろう。私の時の師匠は、昔ああいうことをしてかつての弟子が自殺してしまったことがあるらしく、それ以降は体罰だけはやめたようだが、しかしパワハラはひどかったので、やっぱり変わらないだろうと思う。亡くなるまで待つしかない、ということだね。残念だが。
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NGSKから去ってきて何が一番ラクって、ジャズを聴かずに済むことなんだよなw 別にそんな嫌いでもないけど、あっちにいるとみんなジャズばかりやってるから、何かの音楽系催しに参加すると、強制的に毎回聴かされることになる。もっと他の音楽はないんか!とか思うようになるよね。
人によってはそれがシャレオツでいい街とか映るのかもしれないが、私にとっては汎用性のない狭い音楽観の土地だなという解釈になる。まあ人それぞれですので(棒)。


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