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林檎の記事が話題になってるけども、あえて言わせてもらえば、私はあそこに自分自身の父への恨みを重ねて見てしまう。
常々言ってるが、父は労働組合の委員長経験者だし、街全体も(炭鉱の影響らしい)非常に左派の強い街であった。そういう環境で幼少時代を過ごした自分は、まったく幸福でなく誰も自分を救ってくれなかった、という思いが今もある。つまりそれは、そのままその環境への強い不信感となって今も残っている。私が上京後に考え方が右傾向に寄っていったのはそういう理由が大きいのだ、と。
と同時に、最近よく言っている「業界ミソジニー」という件について、あるいは日野テルに代表される封建的師弟制度について、当初からまったく馴染めず、今も嫌悪感あるわけですが、そういうメディアや芸術会の傾向が非常に左系であることとは切り離すことが出来ないわけで、つまりここでも、自分と父との関係と同じように「でもあんたら私を救ってくれなかったじゃないか」という強い思いがある。
そういうときに、反対方向(その業界内でのマイノリティ側)に敢えて振れていくというのは、故意にしろそうでないにしろ、普通に予想されることじゃないかって思うんだけど、どうなのか。つまり反体制の反体制は体制なのだという、天才バカボン的な発想だよね。彼女がどう考えてるのかは知らん。でも僕は、そこにそういう自分との共通点を見つけた。

最近の話題といろいろリンクしていくが、ブコメにも書いたが、ちょうど端田宣彦氏の話題に関連して、加藤和彦的スノッブの時代遅れ感について改めて考えていたんだけども(自死の直後も考えた)、僕が常々言ってるように、2000年代以降の日本の考え方というのは、それ以前とまったく変わっていて、もちろん加藤和彦的なものなど害悪以外の何物でもない、みたいな風潮になったなか、98年デビューの林檎がまったく正反対(ぽい)人として存在してるのは、時代的気にまったく正しいわけで、戦略にしろ天然にしろ、あれこそが正しい林檎だというのはすごくわかるし。

何度も最近書いてるように、私東京にあまりに長く住みすぎてサブカルに染まりすぎてしまい、そこからの逃避としてNGSK移住があったんだと言ってるけども、例えば加藤和彦にNGSK移住なんか絶対できっこなかったはずだ、と思うし、あそこで全部断ち切って移住した自分は(その後のNGSKで経験したことは置いておいて)、素晴らしい判断力だったと今も思ってる。
NGSKというサブカルの権化みたいな街に住み、それに辟易し、厨二病的サブカルからの卒業を果たせた自分にとっては、NGSK拗らせ民のみなさん、本当にありがとうと言いたい気分ですし。そうなることで業界ミソジニー的なものへのスタンスを自分の中で明確に出来たというのは、ものすごく大きいと思ったのね。

今でも「アーティスト様」のサブカルや左派よりなものと封建ミソジニーみたいなものとは矛盾してないか?という思いはすごく強いの。そんな人たちと与することなんか到底出来ないわけで、今の自分の立ち位置は、そういうことなんだなと、すっごく明確になったことが、ここ1週間の自分でした。というお話。