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超短編

今朝は雨だが、9時、きっかり5分前に、その男はやってきた。
白髪染めはしているけど、まだらに落ちて、カーキ色のコートは肩がまだらに濡れている。

男が無表情でカウンターに立つと、おそらくパートであろうおばさん
――よく見れば、新珠三千代みたいなつくりだと気づく。
ビニールの前掛けに白い長靴、それに少々、肌がかさついているのが残念だ――が、
ひらりと彼のほうに向かって、身をひるがえし、
薄めの笑顔で「いつもの?」と尋ねる。
男が無言でうなづいてから、きっかり2分22秒で
カウンターに湯気のあがった“たぬきそば、わかめ、卵入り。ねぎ大盛り”が供され、
男は500円玉を渡し、おばさんは「ありがとうございます」と薄めの笑顔で10円返す。
卵やわかめやねぎやつゆを吸った天かすが気まぐれにからむ蕎麦をささっとすすったあと、
カウンターの蕎麦湯を残り汁に少し足して、男はごくりと飲む。
空のどんぶりを「ごっそうさん」とカウンターに置くと、
9時5分過ぎに男は出ていく。おばさんの薄めの笑顔と「いってらっしゃい」を身にまとって。

その日が平日ならば、男とおばさんの人生には
9時5分前の10分間のイベントが必ず起こる。
起こり続ける限り、今日も明日も明後日も、生きていけることを2人は知っていた。