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17on - お絵かきはいまのところたのしめないミニブログ

ヒトコト

"ヒトコト" でひとこと

-- fans

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ヒトコト

大江健三郎氏がノーベル文学賞を受賞したときも、ある一定よりあとの
ノーベル文学賞受賞作品
って読んだことがないよね。みたいなマスコミの情報誘導があった。
みなさん
オルハン・パムク
って読んだことあります。
シェイマス・ヒーニー
って知ってる?
って言いたい。
イェイツやトーマス・マンが書店や図書館の目立つ場所に置かれていることが
あって、「知ってる歴史の知ってる物語」って感じだけれども
オルハン・パムクやシェイマス・ヒーニーの書籍が
書店や図書館の目立ない場所に置かれているケースばかり目立つ。
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ヒトコト

ノーベル文学賞、また、村上春樹氏受賞できませんでしたね。
またアメリカの訳のわからない詩人にあげていたようですが、
ここ2/30年のノーベル文学賞受賞者の書籍って
あまり読まれていないような気がする。
ノーベル賞じたい、「北里大學」、「グレタ・トゥンベリ」といった
社会活動に興味がありそうだったり、理系の人といった研究者や活動家とかの
水準に合わせて彼ら受けしそうな人をノーベル文学賞にあげているような気がする。
大江健三郎氏が受賞したときも、ここ最近のノーベル文学賞受賞者の書籍
を読んだことがありますかと問いかけがマスコミでされていた。
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ヒトコト

東村山に、志村けんの銅像を作る考想が動き出しているようだ。
肯定も否定もしない。
だけれども、東村山、我が郷土という思想が、
志村けんの最晩年から、死んで間も無い時代に芽生え始めているのかもしれない。

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ヒトコト

20年くらい前、インターナショナルスクールの記事でこう書かれていた。
「男は家族を養わなければいけないので、日本の大学をでて日本企業に
入らなければいけないという傾向がある。だから男に
インターナショナルスクールは奨められない。」
みたいな記事を発見。
日本人男って、義務感を背負わせるよね。
成田離婚の背景だよ。
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ヒトコト

母親は、弟のことを「親不孝者」というが、
沢山の友達に囲まれていて、人生を充足させている。
オンラインゲームの被害があるけれども、
大量に存在するリアルな友達がすべてを守ってくれているようだ。
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ヒトコト

金曜ロードショーで、「聲の形」、「君の膵臓をたべたい」を視聴していた
時代に考えていたけれども、映画やアニメだけじゃなくて、殺人事件の
起こらない2時間ドラマって出来なかったんだろうか。
今挙げた上記2作品みたいなエピソードの2時間ドラマってどちらかと言えば、
連ドラ、朝ドラに持って行かれる率が大きいように思える。
でも、2時間ドラマの可能性を大きくするためにもお約束ばかりはだめなんだよ。
我が家では、2時間ドラマがタブー視されて、強い圧力をかけられることが多かったので、
自然と見なくなってしまった。お約束にこだわって、視聴者をイライラさせたのは
戦国や幕末にこだわった大河ドラマに近いけれども。
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ヒトコト

關東人・東京人にとって故郷とはなんだろうか。
20年くらい前の女子大生殺害事件の話題をテレビでやっていたが、
城東の人で、「関東で郷土性を誇っていいのは、城東だけだ。」
みたいな傲慢を感じた。
私は城東地方だけではなくて、櫻新町も、高島平も郷土だと思う。
城東は江戸っ子という物差しだけではなくて、彼らが
近現代の過程で背負い込んだ「家の事情」を江戸っ子とごっちゃにして
考えるので、彼らの考えだけを言うべきでない。
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ヒトコト

私はある程度上の世代の、アメリカのホームドラマを見て

憧れたという気持ちが全然わかないんだよね。

なんで、アメリカの映画の風景を見て、憧れたとか

夢の国をみたとか思うんだろう。

自分の世代の映像の魔術師みたいに言われている、スピルバーグや

ジョン・ラセターの企画を見ても、すごいと思う半分、半分

白けた感じ半分なんだよね。
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ヒトコト

今、Wikipediaでアラン・プロストの資料を見ていたけれども、
彼と同時期に活躍したf1ドライバーを「四強」、「四天王」
と言っている表現を見た。おそらく日本のマスコミだと思うんだけれども、
時代が下って、昨今のテニスでもナダルやフェデラーという単語をしばしば
日本のマスコミでも、聞く。サッカーでもサディオ・マネとかルカ・モドリッチ
という言葉も聞く。その昔のf1でも、昨今のサッカー・テニスメディアでも
「世界最強のxx」とか、「最恐のxx」みたいな海外の選手の報道をするのに、
野球ではダルビッシュの話題などが並ぶ。そして、誰と戦っているのか
わからない。恐らくは今挙げた野球以外の選手並に強い人と戦っているの
だろうけれども、大変さや苦労している感じが伝わってこない。
だから、日本の大リーグ中繼に失望した部分がある。せめて
いま時点のテニスメディアみたく錦織圭や大坂なおみにたいして
海外の選手みたいな報道はできなかったか。
少なくとも一昔前昔のf1マスコミも海外の選手に対して中嶋悟や
鈴木亜久里の存在も報道していた。
野球となるとどうして日本人になるんだろう。
この疑問がcanadaの新聞のダイレクトメールをとる行動に
進ませていく。
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ヒトコト

やっぱり、右寄り保守が怖いって思ってしまう右寄り保守反対派
が多い。いまmixiに資料を貼るためにTwitterを開いたが、
ネトウヨが岸井成格を死屍に鞭打つ一歩で
あの安倍が死んだときに悪口雑言を言う人を叩くなみたいな記事を発見。
怖くて無視したが、この手の右寄り保守への恐怖感を
煽る記事がここ20年ぐらい多い。どのくらい右寄り保守を操り
危うい方向に導く力を持っているのだろうか。
今の右寄り保守が自衛隊にクーデターを促す力があるとは思えない
という人もいた。
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ヒトコト

サンデーモーニングを攻撃しているネット世論について
張本勲は、そんなものを気にしていないという。
同じようなことを感じるのは、佐高信がやたらと、
自著で、北野武を攻撃している。
北野武氏は、あまり気にしていないようだ。
ネット世論も佐高信も同じことをしている。
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韓国映画「パラサイト」受賞より少し前、北野武映画の金賞受賞を
阻んだのは、韓国のフィルムクルーの作品だった。
これと、Parasiteに関して思ったのは、韓国のサブカル界隈では
日本のサブカルに例えると、
「韓国の北川悦吏子」
的な脚本家やプロデューサー、
あるいはスタッフとして、
上原正三みたいに、地味だけれども、面白いエピソードは
彼がスタッフとして携わったエピソードだったという働きをする人、
大河原邦男みたいにスタッフとして呼ばれると、いい仕事をする人、
あるいは音楽方面で、小林亜星や久石譲、服部克之みたいな働きをする人
が存在するのではと思ってしまう。
台湾では、そういう働きをする人はいるのかな。
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ヒトコト

サンデーモーニングに関する事。
あるサイトで、シンカリオンが最終回を迎えようと
していた時、
「子供番組をやめて老人番組に変えたって、誰も
その老人番組を見る人はいなくなってテレビは衰退するだろう。」
みたいなツイートを見たことがある。
当時アニメとか特撮をヨイショするための
極端な意見の持ち主らしいと思ったけれども
Mastodonなどで、サンデーモーニングに関する事で
多少の論議になった時考えた。
彼らはサンデーモーニングを攻撃していた。
だけれども、それも極端だよ。
その時、シンカリオンが最終回を迎えようとしたときの
ツイートを想い出した。
そう。老人番組が嫌ならば見なければいいんだよ。
誰も見なくなってネットに移行するならばそれは仕方がない。
サンデーモーニングはボイコット。それでいい。
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ヒトコト

最近、インターネットが何かの代替になっていると思うのは
「ある程度の郵便への代替」
だろう。
電子メールやLINEで、ダイレクトメールを沢山取っているが、
郵便では全くもらわなかっただろうメールももらっている。
ネットはテレビに変わるというけれども、機能が沢山ありすぎる。
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ヒトコト

私の家が加盟している、CATVの番組表を兼ねた雑誌に
タイのblドラマが紹介されていた、イメージとしては
タイ人のペーソスで作られた「おっさんずラブ」というか「なぎささん」
って感じがする。
タイの映画を「ムトゥ」や「冬ソナ」が公開される以前見たけれども、
視聴者のことをわかっている作りの映画だった。
韓国とは政治問題でギスギス、台湾はなんにも考えないで
「おっさんずラブ」や「なぎささん」と流すべき枠で、臺灣人のペーソスで作られた
「花の子ルンルン」、「クリィミーマミ」を平気で流すことを考えれば、タイの映画やドラマを紹介したほうがいいと
ふと思った。
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ヒトコト

以前、テレビで華族に関する番組があった。
豫告編では「日本史の徒花のような華族」
と、ナレーションが存在したが、母親はこれに一言
「徒花だよ。」
と嫌(いや)みたらしく一言
それに対して、自分たちが憧れたり、豊かさを感じたり、した要素の文物を
茶化したり揶揄したりすると、怒る。
ブルーレイやネットフリックスの世代があの当時の映画や音楽を
拝見しても、頭ではわかっても、そこまで豊かさや憧れを感じない
部分がある。だから、
「母親が華族や天皇制に関する批判的な空気や空間よりも1960/70年代の欧米への憧れ豊かさへの理解が不能だ。」
と思うから茶化したり揶揄したりする部分がある。
正直なところを言うと、ジャズの深さってわからない。
あの時代の洋楽の嵐に浮かされて考えているのではないかと思った。
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ヒトコト

8.15と3.11私はただ黙ってその日を見ていたい。
3.11に関しては、東北にルーツのある人々がたくさん住んでいる地域の人が騷ぎ出すから
東北にルーツのない關東人である私は少々複雑だ。
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ヒトコト

一説には、しずかちゃんは男の友情の潔さを選んだと言う人がいた。
男の友情って神聖かつRomanticに言われますよね。
それは作ることができなかった。
男の友情という言葉を言うと、
「それって、ドラマか漫画の世界だ」
と言われたことがあった。
男の友情に苦しんだ私はなんだろうか。
友達を作りなさいと言われながら、作れなかった。
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ヒトコト

葦の髄から見える情報から、タイの映画・ドラマの情報が入ってくる。
そこにも、日本で例えれば、
「三谷幸喜・クドカン・北川悦吏子・大河原邦男・小林亜星」
みたいな制作スタッフの影を感じる。
韓国同様だ。
そして韓国同様、スタッフに関して、知りたくもあり、知りたくもなしという
ふうに私は考えている。
そして、タイや韓国のサブカル制作スタッフみたいな空気を台湾は阻んているような気すらする。
韓国が嫌いならば、
「悪い奴ほどよく働く」と思い、
タイを相手にしないのならば、
「そーなのかー」
というふうに考えて、相手にしないことも必要なのでは。決して
なんにもやらないやつを担ぐことではない。
下手な反日国より台湾のほうが厄介なことがある感じがする。

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ヒトコト

私は自分の弟が苦手である。
大親友が大量に存在して嫁さんまでいる
幸せだけで全てが出来上がっている。
世間は友達がたくさん男を甲斐性のある人、幸せの象徴みたいに言う。
だからいつも苦しむ。
お金がなくても、男は友情であるという巨大な神話が存在している。
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ヒトコト

アカデミー賞を受賞した韓国映画「パラサイト」に感じるものがあるけれども、
いわゆる「韓国の北川悦吏子」、「韓国のクドカン」、「韓国の三谷幸喜」みたいな
ヒット作を連発する
脚本家やプロデューサーがいると思ったら、
「韓国の大河原邦男」、「韓国の小林亜星」みたいなあるときはあの作品、またある時は
この作品と言う感じのスタッフとして呼ばれれば、それなりの仕事して名前を刻む
スタッフみたいな
人がいるのではないかと韓国のドラマや映画の現場を感じる。
韓国を嫌うのはわかるけれども、何もしないtaiwanを担いで、バカな袋小路に迷い込みたくない。
韓国が嫌いならば、他にいい仕事をする國のFilmクルーを考えるね。けしてtaiwanじゃないね。
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ヒトコト

都道府県擬人化が今も流行っていますが、昔こういうのをやったら、
東京都の擬人化は江戸っ子・下町風が多かったようにも思えます。
それも3昔前の1970年代ぐらいまでだと思うのですが・・。
なぜ江戸っ子・下町風が廃れたのか。
1970年代は多摩地方や大田区あたりが東京と認識されなかったからだと思うからです。
だけれども、城東地方が北の玄關口に拘泥してしまって、現実の東京と乖離してしまったから
だと思います。だから、大田区や多摩地方を包括した東京のイメージが
求められるのでは。
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ヒトコト

また傘紛失の続きだけども、母親は早く大人にならなければいけないと
思っていたのではないか。
だから、ものをすぐなくしてしまう自分は情けない子
恥さらしめと思っていたから、ものをすぐなくしてしまう行動に苛ら立ち
を覚えていたのではないか。
それから読む本に対して。
母親の原風景には活字が存在して、漫画なんて下卑たものには教養は存在しないと
考えている部分があると思う。
父親が漫画をよく読む人だったが、私は活字の方に没入する傾向を強めていった。
やはり母親がバイブルのように没入するメディアに入って、母親の心を知りたかった
という部分があるからかもしれない。
でも、知り得たのは、
「お母さんあなたは幸せだったね。それだけですべてが賄えたのだから」
という虚しい心だった。
あと、一つ蛇足ですが、サンデーモーニングのことを
ネット民にすごく憎しみの心をぶつけられた番組だなと思う。
憎しみの心をぶつけるネット民は「張本老害」を繰り返し、
あぐらをかいて、企画を守ろうとする番組側及び擁護派は、
「あの番組はネットをやらない中高年向きの番組だからいくらネットで攻撃しても
駄目だ。」
と繰り返し述べ、企画を守ろうとする。
お互い極端な存在たちがマウントの取り合いをして怖い。
他のジャンルでもあったけれども、日本人のマウントの取り合いをして白けてどちらにも与せない
という人を生み出した物語は数多い。私はサンデーモーニングってググるのが嫌になる。
ただの、気にしないいやな番組程度になればいいな。
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なんで母親に怒られたことは尾を引くのだろうか。
実は小学校の時、傘を忘れて、なくしてしまった。
母親はヒステリックになくしたならばさがしなさい。と言っていた。
その時母親が怒ったときは、自分がどん底に落とされた恐怖ばかりが残った。
また探さないと恐怖に落とされる。と思った。無くした自分が悪かったのかもしれないけれども、
注意されたという感じよりも、地獄に落とされる恐怖ばかりがあった。
そんなとき、先生が傘を貸すという、それも無理やり。
「そんなことよりも探さないと母親が怖い。」
と言った。
先生はすごく怒って自分に引っ叩いてまでお前に貸すとは言うんだけれども、
先生に引っ叩かれても、母親への恐怖ばかりあった。そっちに怒られる方がずっと怖かった。
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ヒトコト

私が「腹が立つなぁ。」と思ったのは、
いつの頃だったか、
「世界三大料理といえば中華料理・フランス料理、トルコ料理らしい。」
と私が口走つたのだけれども、母親は
「地元の身びいきかもしれないけれども日本料理の繊細さは
世界に冠たるものだ。」
とヒトコト。
そんなことを言うと、タイ人がタイ料理を持ってくるよ。
と心で思った。
あまりに日本のことを褒める人でない母親が言うと、
なにか怖いものを感じた。
いかにも1950^70年代の戦後復興・高度経済成長の名のもとに
日本がどうアイデンティティを確立し、欧米コンプレックスを
解消していくかみたいな思想が背後に存在し、
トルコ料理なんて考える必要もない。みたいなものが言わせているのだろうなと
考えた。
私は世界三大料理なんて笑い話のようなものだと思っているが、
母にとっては笑い話ではないのだろう。
そして、「憧れ」、「豊かさ」、「勇気」のようなポジティブな
言葉が人を縛ってしまうことも。
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ヒトコト

私の高校時代取っていた英文法には、国連英檢だなんていう
言葉を言う人がいた。彼からは、いや彼女か
「安全に生きるために、憧れもなにも捨てて窮屈な健全のために生きよう。」
みたいな空気を感じた。
私は母親の天皇制に反対する考えには共感している、
だからそれにはとやかく言わない。
しかし、それよりももっと嫌なのは
1960-70年代的な
「アメリカの豊かさ・憧れ」
みたいな空気である。
「北米とか英語圈にアジアで失敗しないために精神の上での安全
を買っている自分ら世代からすれば、
母親はそれに憧れて、光を見ている。
だから衝突が起きる。
自分は自分の好奇心が抑えきれなかったけれども、
今思えば、
英語圈とかに関する思いを憧れに変換できれば、自分の気持ちが楽になったのだろうか。
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ヒトコト

腹立つなあと思ったこと。
私は横浜に住んでいるのだが、なぜだか神戸の料理を看板に出している
料理屋やパティスリーは珍しい。
ちょうど、神戸牛を謳い文句にしている牛丼屋が街にあったので、
「神戸牛か。横浜には珍しいなあ。」
と母に言う。
母は
「京都には敵わないでしょ。」
と一喝。
私は關西風にいう「あほらしやの鐘がなる」みたいに言われた感じがしてがっかりした。
確かにごちゃごちゃ言う人には「あほらしやの鐘がなる」って一喝言えばいい。
だけれども、それだけでいいのだろうか。
他に考えるのは、関東において近畿圈が
「大阪や京都が存在し、土台である奈良が存在し、關東とは一線を画す場所」
という考えばかりクローズアップされて、そのイメージで近畿圈を見る人が遥かに多い。
そのように考える人々が
まるで織物みたいに、肯定的な色彩の糸と否定的な糸として絡まっていて、
中々神戸のイメージが伝わらないきらいが存在する。
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ヒトコト

高校時代、「ハングルなんてファッションでやるのはやめなさい。」
と言われて仕方なく英文法をとった。
好奇心でやっている人が多かったハングルのクラスを羨ましい
と思いながら、英文法をとったんだけれども、
その時、一人の女子生徒がいた。
彼女はその後研究職になって人権などを研究しているらしいのだけれども
今は思えば、好奇心やノリよりも堅實で、安全な世界を選択して
その中で、アメリカに接近するというタイプだったのでは。
母親のように、アメリカの豊かさ・憬れという概念がすごく濃厚な世代からすれば
僕ら世代の
「アメリカや北米を見るのは勉強のため、ある種の妥協。
一瞬つまらないけれども、アジアに行って大やけどをするよりは堅実に
生きるためにアメリカに接近する」
という空気の体現者のように今になって思う。
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ヒトコト

なんで、ローカルセールスってことがを思いついたか。
それは一部の人に大好きで、神聖視されている台湾の人とネットで話しているときに、
{自分のところのサブカルが近所の海外にも流行るものが作れないのは当たり前だ}
みたいなことを発していたのを思い出す。
なんで、そんなことを考えるのだろうか。日本のサブカルだって台湾や欧米の人が
面白がるなんてあんまり考えないで作った企画がある。純粋に日本の市場だけで狙って作られた
って某特撮・アニメのWikipediaのスペースで読んだことがある。
それが日本の実写ドラマが台湾であたり、日本のアニメが欧米で当たる
事実は
私は一種のまぐれ当たりみたいなものだと思っている。
韓国の「国民の妹・弟」という単語も韓国サブカルも元々ローカルセールス狙いで作られた時代
が存在したからそういう単語があって、ファンも自國のサブカルを応援する部分から出てきたんだろう。
なんで、台湾は自國のファンを信じられないのだろうか。前述の臺灣人は
「ハリウッド映画と日本ドラマに台湾のドラマが挾撃にされている」
みたいな言葉に多少呆れていた。
日本だって韓流ドラマやムトゥが紹介される前、ハリウッド映画に混じって
フランスやイタリアの映画が紹介されていた
時代があった。(戰前から1970年代頃か)でも、力を失って徐々に紹介されなくなった。
その代わり自國サブカルが賑やかになった。
そういう歴史的事実が我が国に存在するから尚更台湾は怖い。
現在台湾において力を失った日本ドラマに対して韓流ドラマが流行っているという。
また、外国サブカル・・・。
最後に、
ハリウッド映画と日本ドラマに台湾のドラマが挾撃にされている」
って考えは臺灣人自体が、不安や恐怖を背負込むだけだ。
台湾のサブカルの表現があれば、
海外サブカルの違和感をはねのけられそうなものだが。
私がアメコミ表現が受け付けないように日本の萌えアニメ表現を鼻で笑えると思うのだけれども。
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ヒトコト

井沢元彦の「逆説の日本史」の制作の背景だけれども、
お寺と神社を曖昧のもと利用している部分、
神仏混淆という背景などを感じる。
何でも批判するものじゃない。
あと、韓国サブカルの「国民の妹、弟」
という単語。
韓国サブカルもローカルセールスを重要視する空間があるということだ。
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ヒトコト

思うところがあったから、ここに書く。
私はccさくらの木之本桜が好きになれなかった。企画建ての仕様程度にしか
考えられなかったからだ。小狼と木之本桜、知世ちゃんと木之本桜という
カップリングは苦手だった。
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ヒトコト

ここ最近、オリンピックやワールドカップに関して思うけれども、海外開催で日本人派遣
という空気に傾いているのだけれども、
そういえば鈴木大地だって、ソウルで金メダルを取ったのだった。
彼もPressureの中近年の羽生結弦・宇野昌磨みたく健闘した。
海外の形勢不利の状況でできる人はできるって昔から考えている。
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ヒトコト

私は右保守には批判的だけれども、行き過ぎた
右保守を過渡に不安を煽る風潮は苦手だと思う。
右保守への萬能な力を持っているかのような不安は
逆に右保守の真の力を見誤るのでは、
餘談だが
最近「親日國」、「反日国」という言葉を使う人々の間でも、
台湾がそこまで評価する必要がないと考える人が増えてきたのは
ホッとしている。
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ヒトコト

私がムトゥとか韓流ドラマ、元ちとせを批判する
母親に怒るようになり、母親の考えの、背後關係を
やたら難しく考えるようになったのは、
oasisやbulrの日本への紹介があったからだと思う。
これまで、母親が憧れていて、
深さに感銘を受ける音楽がジャズの同心円状に展開していて、
当時はエッジの効いた表現と持て囃し、今となっては
伝説と語り継ぐ音樂がロックジャズにたくさんあった。
それが、カート・コヴァーンの急逝後、oasisやbulrの日本への紹介が
存在し、苦い現実を噛みしめることになったけれども、
その苦い現実を噛みしめて、他に面白さを見出そうとしている
自分に、あたかもカート・コヴァーンが生きている時代が
続いているかのような感情で自分たちの時代の
苦さを理解しない母親のことを許さなくなったのかもしれない。
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ヒトコト

私は来年の東京オリンピックやらなくてもいいんじゃないかと
思っている。
それを感じたのは、2018年の平昌五輪と2018年の
サッカーワールドカップロシア大会だった。
ここで、
「羽生結弦、宇野昌磨1,2finish」
とか
「大迫半端ないって」
とマスコミや世の人が騷ぎたてるのを聞いていて、
「フィギュアやサッカー以外の競技でも海外でオリンピックやっても
安定したFIGHTの人は安定してやれる。」
という考えだった。
もし、海外開催のオリンピックが何處かで開かれたとき、
水泳とかで上位入賞が相次いだらその時の人は東京オリンピックを
どう考えるのかな。別競技の羽生結弦、宇野昌磨、大迫は
どういう動きをするのか。なんだか楽しみだ。
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ヒトコト

昨日の続きになるけれども、1960/70年代とか、最近でも城東地方で
考えられている
「朝敵にされてしまった東北」
「貧しい東北」
「上野駅のある城東地方がより貧しい東北を守らねば」
みたいな考えよりも
東北出身の作家である
高橋克彦氏が主張する
「東北の繩文の匂い」
という考えに馴染みやすい。
だから人は関西だけでも、東北だけでも生きているわけではないと
考えてしまう。
それと、1960/70年代、民謡ベース東北出身の歌手に
演歌や昭和歌謡を歌わせてしまうのは、致し方ない部分があったのでは。
今だったら、東北の元ちとせみたいなアーティストが作れそうに思う。
元ちとせのあり樣を認めなかった母親にここ十数年いきり立っとったが、
登場の音楽のあり樣を考えれば洋樂に影響を受ける人と、
民謡土台の人には斷絶があったようにも思える。
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ヒトコト

「私はフライドチキンやハンバーガーに憧れなかったけれども、コーヒーを介して
西洋に憧れを持った。」
という母親の言葉に、極めて1960/70年代の夢みたいな感じを受け取ってしまった。
そして、母親がしばしば口にする「ジャズの深さ」というのも
同心圓上に存在するその他洋樂がちらついて見える。
母親が青春を過ごした1960/70年代に我々が知っている元ちとせのような振舞である、
民謡の歌い方でポップス風の編曲のアーティストやプロデューサーは
出てきただろうか。奄美とは言わないものの、東北出身の女性にそういう振舞をさせただろうか。
「東北の縄文の匂い」
みたいな振舞をさせればかっこいいと思うのだが、当時はしなかった。
泥臭い演歌や昭和歌謡に対して、いわゆるロックジャズみたいな對抗軸でものを考える時代
だったように、リイシュー盤や中古盤のlp/cdから類推してしまってる。
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ヒトコト

https://bit.ly/2BCkU4X
上記urlで紹介されている大陸製企画
巴啦啦小魔仙(ばららしゃおもーしぇん)だけれども、
元ネタの日本製のプリキュアやファントミラージュという企画が存在して、
その影響下で作られている企画なのは否定しない。
例えるならば、スティーブ・マックィーン氏が出演した「ブリット」をベースに
「太陽にほえろ!」が作られたように、大人気欧米映画を土台にして、日本人の
ペーソスで作られた、テレビドラマやアニメみたいな感じがする。
先日発言した韓流ドラマ同様あんたがやらなくてもいいんだよと言いたくなるけれども、
結局みんな作る。
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ヒトコト

ここだけの話、
韓国ドラマ「オールイン」だけれども、今考えると韓国人のペーソスで作られた
「テセウスの船」というか「グランメゾン東京」という空気空間だった。
なんともはや韓国とは政治方面でうまくいかないし、私も嫌いになる部分が
ままある。
だから台湾に臺灣人のペーソスで作られた「テセウスの船」というか「グランメゾン東京」という空気空間
を作ってほしかった。
しかし日本で紹介される臺灣ドラマは、臺灣人のペーソスで作られた「花の子ルンルン」というか
「クリィミーマミ」という企画ばかりだった。
(アニメの話題を出して恐縮だが空気感が例えるならば
こういう企画に近いベタさ加減だ.)
「花の子ルンルン」というか
「クリィミーマミ」
という企画は「闘将ダイモス」とか「機甲創世記モスピーダ」があってのそれらの企画だ。
ダイモスもモスピーダもなく臺灣人のペーソスで作られた花の子ルンルンやクリィミーマミを
他国で
「オールイン」、「テセウスの船」を流すべき枠で流す台湾は大丈夫か、そのままアンチ韓国の
旗印にしてよいのだろうかと大いに悩んだ。
なまじっか韓国よりいいイメージがある台湾だから悩むところだ。
時代とか枠を考慮して、「のだめカンタービレ」を流さなければいけないタイミング、
「プリキュア」を流さなければいけないタイミングってあるよね。
「テセウスの船」や「スカーレット」、「オールイン」、あるいは
「プリキュア」を流さなければいけない枠で
改造版「花の子ルンルン」を流すのは苦しいよ。
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「腹たつなぁ。」
と思う一言。
「シンカリオンが終わったら、また大人番組になってしまった許せない。」
みたいなヲタクの言葉が苦手だ。
一般人にもヤンキーにもいるけれども、日本人特有の
「異論を認めない」
みたいな感じが怖い。
「ヲタクはヲタクらしく」
「ヤンキーはヤンキーらしく」
「一般人は一般人らしく」
みたいな考えって多くの人が考えるのかもしれないけれども、
「ヲタクぶるのはださい。一般人っぽく振る舞いたい。シンカリオンは家族の目を盗む
感じで見るのがいい。」
みたいなやつの心って、
「異論を認めない」
という考えの人々はわからないんだよね。
私はある面ではシンカリオンがすっぱり終わってくれて良かったとも考えているんだ。


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