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僕が大好きな映画監督アントニオーニというひとは、ヌーベルバーグやリアリズム傾向の中にあって、ブルジョアの孤独感について描こうとしてたヒトのように思う。
ここでも何度も書いたけど、僕は故郷で、名門とされるような学校に(分不相応)行ったお陰で、街の名士子女という同級生と大量に知り合うことになった。彼らは(当時は)裕福だったし、それよりなにより、お金の問題じゃなくて、文化的な資質が本当に豊かで、それは即ち「育ち」ということになるんだろうけど、ホント彼らのお陰で僕は、いろんな音楽や文化的な価値観を教わったのだから、そういう意味では感謝してもし切れないものを、当時の同級生に貰ったと思ってる。
いまや地方都市はシャッター街ですね。うちの故郷も同様にそんな街と化している。かつての名士子女の同級生は、それらを引き継ぐことはなく、医者とか何かの所長とかそういう偉いモノになってるけど、まあ引き継げなかったからシャッター街になってるわけだけど、結局、彼らの親が街の中心部を滅びさせた戦犯とも言えるのだから、まあ気持ちは複雑なんだろうなって思う。
そういう自分の故郷のことがあって、10年位前、クジ女子を介してNGSKの街のことを知ったとき、これは自分の地元と一緒やん、と思った。実際、移住して知ったのだけど、あの街でも、ある年齢以上の「旧きよき」文化を嗜んで楽しんでる方々は、かつての街の名士2世なのであった。結局、資金はあるけん、実力とかじゃない、コネクションと歴史で決められるすべてに、新規参入メンバーは文句のひとつふたつどころか、すべてに不満だったでしょう。その代表が小姑ジャズピアニストだったと思ってます(でも彼女の母も地元の名士なんだけど)。
まあそんなわけで、歴史ある街は、いまどこもそうなってるん。なので移住先のNGSKも自分の故郷も一緒だなって思ってて、そんで、クジ女子に初めて会った時、彼女も地元の名士子女としての苦悩とかがあって、ピアノだのなんだの習わされて、中学時代から同人活動みたいなことを、あの田舎でやってたことなどを聴くと、自分が好きなアントニオーニ映画で描かれてた「ブルジョアの苦悩」的なことが思い起こされ、そのまま朽ちていくのはもったいないから、じゃあ、オレがカタチにしてやるけん、みたいなところからコラボが始まったのではないかと思う。そこに僕が共感したのは、かつての故郷での同級生達の苦悩などを見てたからだよね。だから共感できた部分は大きかったのでは。
お金持ちのブルジョアの家、習い事もたくさんさせてもらうし、ソフトもたくさんある(レコード全集とか絵画全集とか、そういう意味での)、素養という意味では、一般貧困民に比べると破格に素質はあるのよ。でも、せっかく持っていたそれらの素材を、誰も活かせないの。その後を展開するには、もっといい出会いとかあるからさ、でも田舎にいたんじゃ、そこ止まりなのよね、っていう段階もたくさんある。もちろん才能もある。それ以降の一段上の「プロになる」というレベルには至っていないんでしょう。でも、その中途半端な素養はどうするの??ってなるでしょ?その「子女本人」たちは、幼少から散々、そういうこと教わって、でも最後には結局「花嫁修業」としてのひとつに過ぎなかった、と言われても、じゃあその心の中に溜まった感覚の行き場はどうなるの??って話です。
僕はこれは、それ以前にもデジャブでね、東京で音楽の専門学校→音大って行ったけど、結局私立の音楽系大学なんか、お嬢様の花嫁修業としての意味合いしかないのね。学校はそれでもいいの、お金になるから。でも、その本人たち、僕と同級だった彼女達は、みんな苦悩したり病んでたりしてたの。やっぱり、男と女は違う。そんな扱いを音大ですら、されてたのね。そういう経験があって、自分の故郷での同級生たちのことがあって、そういうのを経てのNGSKでのデジャブだったから、クジ女子と出会ったとき、それを成就させる方法をちゃんと考えたいと思った。ということなんじゃないか。
おれね、長年生きてきて、この年になって気付くけど、やっぱり「育ち」ってでかいねん。幼少のころ、若いころに、どんだけいろんな文化や表現に出会ってるか、なのよ。そうすると、所詮お金持ちのおぼっちゃんお嬢様の手習いだろ、って言っても、その潜在能力には、後天的な庶民には手に入れられない感覚ってのもあるんだよ。そういうことを、活かしてやりたい、という気持ちがあったんじゃないかなあ。NGSKでの僕のレーベル活動は突き詰めると、そういうことだったんだと思います。