deztecjp

deztecjpさんのエントリー

id:deztecjpのミニブログ

--- fans

deztecjp

id:deztecjp

松本麗華さんの主張、つまり被告(当時)の病状に関する論点は裁判で却下されたものですが、裁判所が認めなかった主張を繰り返すのは感情論に過ぎない、ということは全然なくて、だから確定死刑囚の再審請求が数十年も続いたりするわけです。

現状、公的には松本智津夫裁判に法律上の瑕疵があったとは認められていない。でも過去には、いったんは法的に効力があると認められた証拠が、ずっと時間が経ってから一転して却下された事例もありますし、松本麗華さんが今されているような主張を繰り返すことが、即ち法の軽視だなんて、私は思いません。

ただ、新証拠がなければ従来通り却下されるだけでしょうし、松本麗華さん側はもう松本死刑囚の健康状態を自分たちの納得いくまで調査することなど不可能であって、新証拠が仮に出てくるとしたら司法関係者の証言か、以下に示すようなケースしかないと思う。

松本被告(当時)の状態は、様々な立場の人が法廷で見て「治療が必要なのでは?」と思うようなものだった。これは事実です。裁判所は鑑定の結果、裁判をこのまま続けられると判断したけれど、異論はあったわけです。

話としては、DNA鑑定のやり直しを求めるのと似ています。DNA鑑定が不服だという話につきあって、同じ鑑定を繰り返したって時間とカネの無駄なのは明らかだから、基本的には却下されるわけですけど、別の現在進行形の裁判で同じ先生の鑑定がいくつかひっくり返ったら、こっちもやり直せという話になったりする。松本被告(当時)を鑑定した先生が、別の事件で鑑定に疑義がついてひっくり返ったりすると、松本智津夫裁判の鑑定も間違っていたんじゃないかという話が再燃するんじゃないでしょうか。

とはいえ、所詮は人間がその能力の限界の中で人を裁くわけで、誰もケチのつけようのない裁判など不可能。松本さんがしているのも、死刑執行を先延ばしにするための時間稼ぎの主張だ、という見方もできるでしょう。最近、再審請求中の死刑囚が刑を執行され、激怒している方もいましたが、そのケースでは被告が無罪を主張していたわけでもなく、再審請求中だからといって死刑を執行してはいけないと単純に考える方が危ないと思いました。

私個人は、松本死刑囚がいま死刑執行されても、とくに批判しない。法律遵守というなら、法律通りさっさと執行するか、空文化している現行法を早く改正すべきでしょう。

でも、松本梨香さんの主張を、tetora2さんのようには批判しません。

私はいま、再審請求申請中の確定囚の方の支援はしていないし、目下とくに注目している再審請求もありません。ただ、過去にはいくつか支持してきた事例もあります。

松本麗華さんの主張は、そうした事例と明確に区別できる要素が、私には見当たりません。

裁判所が、正規の手続きに則って鑑定をしたんだから、その鑑定は正しいんだ、不満があるなら誰もが納得できるだけの証拠を出せ、なんていったら、どんな再審請求も成り立たないですよ。

言葉の上滑りはあると思う。だけどそれも、他の再審請求事案と比べて、とくに過激ではない。

「自然人に対して根拠無く行えば名誉毀損の疑いが極めて強い発言です。」

これは私も同意しますし、それがよいことだとは思いません。でも、これを咎めだてして、こういうモノの言い方は法の遵守を求めることと両立し得ないといったら、他の再審請求事案も軒並みアウトになる。

こういうことは公正・公平でないといけない。私は、過去にいくつかの再審請求について僅かな支援や応援をしてきましたから、tetora2さんのような基準で判断することはできません。

再審請求をする側は、しばしば裁判所や警察や検察を散々罵っていました。悪意なき過誤による冤罪ではなく、意図的な冤罪だとまで主張してきた。そうまで他者の悪意を吹聴する根拠があるかといえば、私の見てきた限りでは、なかったですね。「私には、そうとしか思えない」以上の理由はない。

>
娘さんが「お父さんは悪い人じゃない、何かの間違いだ」と言うのなら止めはしません。
又は「裁判のここに問題があるので再審請求したい」とだけ発言しているのならそれも一つの意見として尊重します(同意はしませんが)
しかし「お父さんは優しかった、裁判所は感情論で判断して精神鑑定を予断を持って行った、心神喪失の父は無罪だ」と主張するなら話は別です。
自分は感情論を振りかざす、相手を根拠無く貶める。根拠無く相手を貶める感情的な自分を差し置いて、法に則った処置を求める。
私はダブルスタンダードだと思いますね。
<

なるほど、と思いました。tetora2さんの基準は、理解したつもりです。

私は同意しませんが、tetora2さんの基準が、他のあらゆる再審請求事案にも公平に適用されるなら、これ以上、私としては申し述べたいことはありません。

以下は、同じ内容の繰り返しです。

既に述べた通り、「感情論の部分は差っ引いても残る主張がある」なら、感情論とは腑分けして、その部分の主張に私は耳を傾けます。感情的な言葉で構成され、様々な問題を含む発言だとしても、その主張の全体を「感情論だ」として切り捨てることはしません。

裁判所が治療は不要だと鑑定しても、「納得できない。再鑑定すべきだ」というのは法的な主張だと、私は認めます。過去の様々な事件におけるDNA鑑定への疑義申立と、同様に考えているわけです。ただ、それは法的に無意味な主張ではないけれど、いったん正当な手続きを経て鑑定はなされたわけであって、基本的にはスルーされて当然。しかしそれは、「感情論だ」という切り捨てではなく、「論拠が弱い」という判断によらねばならないと思う。

……とはいえ、世間では「感情的な物言い」であることをもって「感情論」と全体を判断することが、確かに多い。私も、時にそういう判断に流されている。しかし私はそのような判断を本来的には支持しないのであって、以後いっそう、自分がそうした判断をしてしまってはいないか、気をつけていきたい。